《も》むのが、主《ぬし》たち道徳《だうとく》の役《やく》だんべい、押死《おつち》んだ魂《たましひ》さ導《みちび》くも勤《つとめ》なら、持余《もてあま》した色恋《いろこひ》の捌《さばき》を着《つ》けるも法《ほふ》ではねえだか、の、御坊《ごばう》。』
『然《さ》ればな……いや口《くち》の減《へ》らぬ老爺《ぢゞい》、身勝手《みがつて》を言《い》ふが、一理《いちり》ある。――処《ところ》でな、あの晩《ばん》四《よ》つ手網《であみ》の番《ばん》をしたが悪縁《あくえん》ぢや、御身《おみ》が言《い》ふ通《とほ》り色恋《いろこひ》の捌《さばき》を頼《たの》まれた事《こと》と思《おも》へ。
 別《べつ》ではない、此《こ》の少《わか》い人《ひと》の内儀《ないぎ》の事《こと》でな、』
 雪枝《ゆきえ》は屹《きつ》と向直《むきなほ》つた。
 流盻《しりめ》に掛《か》けつゝ尚《な》ほ老爺《ぢい》に、
『……其《そ》の夜《よ》、夢幻《ゆめまぼろし》のやうに言托《ことづけ》を頼《たの》まれて、采《さい》を験《しるし》に受取《うけと》つたは、さて此方衆《こなたしゆ》知《し》つての通《とほ》りだ。――頼《たの》まれた事《こと》は手廻《てまは》しに用済《ようず》みと成《な》つたでな、翌朝《あけのあさ》直《すぐ》にも、此処《こゝ》を出発《しゆつぱつ》と思《おも》ふたが、何《なに》か気《き》に成《な》る……温泉宿《おんせんやど》、村里《むらざと》を托鉢《たくはつ》して、何《なに》となく、ふら/\と日《ひ》を送《おく》つた。其《そ》の様子《やうす》を聞《き》けば、私《わし》が言托《ことづけ》を為《し》た通《とほ》り、何《なに》か、内儀《ないぎ》の形代《かたしろ》を一心《いつしん》に刻《きざ》むと聞《き》く、……其《それ》が成就《じやうじゆ》したと言《い》ふ昨夜《ゆふべ》ぢや。少《わか》い人《ひと》が人形《にんぎやう》を運《はこ》んで行《ゆ》く後《あと》になり前《さき》になり、天守《てんしゆ》へ入《はい》つて四階目《しかいめ》へ上《のぼ》つた、処《ところ》、柱《はしら》の根《ね》に其《そ》の木像《もくざう》を抱緊《だきし》めて、死《し》んだやうに眠《ねむ》つて居《を》る。
 はてな、内儀《ないぎ》を未《ま》だ返《かへ》さぬか、一体《いつたい》どんな魔物《まもの》が棲《す》むぞ。――其処《そこ》へ行《ゆ》くまでには何《なに》も目《め》に着《つ》いたものは無《な》かつたに因《よ》つて――尚《な》ほ此《こ》の上《うへ》か、と最一《もうひと》ツ五階《ごかい》へ上《のぼ》つて見《み》た。様子《やうす》は知《し》れた。』
と頷《うなづ》いて言《い》つた。
『何《なに》が、何者《なにもの》が居《ゐ》るんだ。』と雪枝《ゆきえ》は苛立《いらだ》つて犇《ひし》と詰寄《つめよ》る。
 遮《さへぎ》る如《ごと》く斜《しや》に構《かま》へて、
『いや、何《なに》か分《わか》らん、ものは見《み》えん。が、五階《ごかい》へ上《のぼ》り切《き》つて、堅《かた》い畳《たゝみ》の上《うへ》に立《た》つた。冷《つめた》い風《かぜ》が冷《ひや》りと来《く》ると、左《ひだり》の腕《うで》がびくりと動《うご》く、と引立《ひつた》てたやうに、ぐいと上《あが》つて、人指指《ひとさしゆび》がぶる/″\と振《ふる》ふとな、何《なに》かゞ口《くち》を利《き》くと同《おな》じに、其《そ》の心《こゝろ》が耳《みゝ》に通《つう》じた。……
 天守《てんしゆ》の主人《あるじ》は、御身《おみ》が内儀《ないぎ》の美艶《あでやか》な色《いろ》に懸想《けさう》したのぢや。理《り》も非《ひ》もない、業《ごふ》の力《ちから》で掴取《つかみと》つて、閨《ねや》近《ちか》く幽閉《おしこ》めた。従類《じうるゐ》眷属《けんぞく》寄《よ》りたかつて、上《あ》げつ下《お》ろしつ為《し》て責《せ》め苛《さいな》む、笞《しもと》の呵責《かしやく》は魔界《まかい》の清涼剤《きつけ》ぢや、静《しづか》に差置《さしお》けば人間《にんげん》は気病《きやみ》で死《し》ぬとな……
 言《い》ふまでもない肉《にく》を屠《ほふ》つて其《そ》の血《ち》を啜《すゝ》るに仔細《しさい》はないが、夫《をつと》は香村雪枝《かむらゆきえ》とか。天晴《あつぱ》れ一芸《いちげい》のある効《かひ》に、其《そ》の術《わざ》を以《もつ》て妻《つま》を償《あがな》へ! 魔神《まじん》を慰《なぐさ》め楽《たの》しますものゝ、美女《びじよ》に代《か》へて然《しか》るべきなら立処《たちどころ》に返《かへ》し得《え》さする。――
 可《い》いかな、此《こ》の心《こゝろ》は早《は》や御身《おみ》が内儀《ないぎ》に、私《わし》が頼《たの》まれて、御身《おみ》に伝《つた》へた。』

         四十

『活《い》けて視《なが》めうと思《おも》ふ花《はな》を、苞《つと》のまゝ室《へや》に寝《ね》かせて置《お》いて、待搆《まちかま》へた償《つくな》ひの彼《かれ》は何《なん》ぢや! 聾《つんぼ》の、唖《をうし》の、明盲人《あきめくら》の、鮫膚《さめはだ》で腰《こし》の立《た》たぬ、針線《はりがね》のやうな縮毛《ちゞれつけ》、人膚《ひとはだ》の留木《とめき》の薫《かをり》の代《かは》りに、屋根板《やねいた》の臭《にほひ》の芬《ぷん》とする、いぢかり股《また》の、腕脛《うですね》の節《ふし》くれ立《た》つた木像女《もくざうをんな》が何《なに》に成《な》る! ……悪《わる》く拳《こぶし》に采《さい》を持《も》たせて、不可思議《ふかしぎ》めいた、神通《じんつう》めいた、何《なに》となく天地《あめつち》の、言《い》ふに言《い》はれぬ心《こゝろ》を籠《こ》めたらしい所業《しわざ》が可笑《をか》しい。笑止千万《せうしせんばん》な大白痴《おほたはけ》!』
『ヌ、』とばかりで、下唇《したくちびる》をぴりゝと噛《か》んで、思《おも》はず掴懸《つかみかゝ》らうとすると、鷹揚《おうやう》に破法衣《やぶれごろも》の袖《そで》を開《ひら》いて、翼《つばさ》の目潰《めつぶし》、黒《くろ》く煽《あふ》つて、
『と、な、……天守《てんしゆ》の主人《あるじ》が言《い》はるゝのぢや……それが何《なに》もない天井《てんじやう》から、此《こ》の指《ゆび》にぶる/\と響《ひゞ》いて聞《き》こえた。』
 衝《つ》と、天守《てんしゆ》の棟《むね》を切《き》つて、人指指《ひとさしゆび》を空《そら》に延《の》ばすと、雪枝《ゆきえ》は蒼《あを》く成《な》つて、ばつたり膝支《ひざつ》く。
 負《ま》けぬ気《き》の老爺《ぢい》は、前屈《まへこゞ》みに腰《こし》を入《い》れて、
『分《わか》つた、分《わか》つたよ、御坊《ごばう》。お前様《めえさま》が、仏《ほとけ》でも鬼《おに》でも、魔物《まもの》でも、唯《たゞ》の人間《にんげん》の坊様《ばうさま》でも可《え》え。言《い》はつしやる事《こと》は腑《ふ》に落《お》ちた……疾《はや》い話《はなし》が、此《こ》の人《ひと》な持《も》つて行《い》つたは、腹《はら》を出《だ》いた鮒《ふな》だで、美《うつく》しい奥様《おくさま》とは取替《とりか》へぬ。……鰭《ひれ》を立《た》てた魚《うを》を持《も》ち来《こ》い、返《かへ》して遣《や》ると、恁《か》うだんべい。
 さ、其処《そこ》ぢやい! 其処《そこ》どころぢやに因《よ》つて私《わし》が後見《かうけん》助言《じよごん》の為《し》て、勝《すぐ》れた、優《まさ》つた、新《あたら》しい、……可《いゝ》かの、生命《いのち》のある……肉附《にくづき》もふつくりと、脚腰《あしこし》もすんなりした、膚《はだ》の佳《い》い、月《つき》に立《た》てば玉《たま》のやう、日《ひ》に向《むか》へば雪《ゆき》のやうな、へい、魔王殿《まわうどの》が一目《ひとめ》見《み》たら、松脂《まつやに》の涎《よだれ》を流《なが》いて、魂《たましひ》が夜這星《よばひぼし》に成《な》つて飛《と》ぶ……乳《ちゝ》の白《しろ》い、爪紅《つめべに》の赤《あか》い奴《やつ》を製作《こさ》へると言《い》はぬかい!
 少《わか》いものを唆《そゝの》かして、徒労力《むだぼね》を折《を》らせると何故《あぜ》で言《い》ふのぢや。御坊《ごばう》、飛騨山《ひだやま》の菊松《きくまつ》が、烏帽子《えばうし》を冠《かぶ》つて、向顱巻《むかふはちまき》を為《し》て手伝《てつだ》つて、見事《みごと》に仕上《しあ》げさせたら何《なん》とする。』
『然《さ》れば、言《い》ふ通《とほ》りに仕上《しあが》つて、其処《そこ》で其《そ》の木像《もくざう》が動《うご》くかな、目《め》を働《はたら》かすかな、指《さ》す手《て》は伸《の》び、引《ひ》く手《て》は曲《まが》るか、足《あし》は何《ど》うじや、歩行《ある》くかな。』
と皆《みな》まで言《い》はせず、老爺《ぢい》が其《そ》の眉《まゆ》、白銀《しろがね》の如《ごと》き光《ひかり》を帯《お》びて、太陽《ひ》に向《むか》ふ目《め》を輝《かゞや》かした。手拍子《てべうし》拍《う》つやう、腰《こし》の麻袋《あさぶくろ》をはた/\と敲《たゝ》いたが、鬼《おに》に向《むか》つて臀《いしき》を掻《か》く、大胆不敵《だいたんふてき》の状《さま》が見《み》えた。
『天守《てんしゆ》の魔物《まもの》は何時《いつ》から棲《す》むよ。飛騨国《ひだのくに》の住人《じうにん》日本《につぽん》の刻彫師《ほりものし》、尾《を》ヶ|瀬《せ》菊之丞《きくのじやう》孫《まご》の菊松《きくまつ》、行年《ぎやうねん》積《つも》つて七十一歳《しちじふいつさい》。極楽《ごくらく》から剰銭《つりせん》を取《と》る年《とし》で、城《じやう》ヶ|沼《ぬま》の女《をんな》の影《かげ》に憂身《うきみ》を窶《やつ》すお庇《かげ》には、動《うご》く、働《はたら》く、彫刻物《ほりもの》は活《い》きて歩行《ある》く……独《ひと》りですら/\と天守《てんしゆ》へ上《あが》つて、魔物《まもの》の閨《ねや》に推参《すゐさん》する、が、張《はり》も意地《いぢ》も着《つ》いて居《を》るぞ、其《そ》の時《とき》嫌《きら》はれぬ用心《ようじん》さつせえ、と御坊《ごばう》に言托《ことづけ》を頼《たの》まうかい。』
『可《よ》い、可《よ》い。』
 ニヤ/\と両《りやう》の頬《ほゝ》を暗《くら》くして、あの三日月形《みかづきなり》の大口《おほぐち》を、食反《くひそ》らして結《むす》んだまゝ、口元《くちもと》をひく/\と舌《した》の赤《あか》う飜《かへ》るまで、蠢《うご》めかせた笑《わら》ひ方《かた》で、
『面白《おもしろ》い! 旅《たび》のものぢやが、其《それ》も聞《き》いた。此方《こなた》が手遊《てあそ》びに拵《こしら》える、五位鷺《ごゐさぎ》の船頭《せんどう》は、翼《つばさ》で舵取《かぢと》り、嘴《くちばし》で漕《こ》いで、水《みづ》の中《なか》で火《ひ》を吐《は》くとな………』
『天守《てんしゆ》の上《うへ》から御覧《ごらん》なされ、太夫《たいふ》ほんの前芸《まへげい》にござります、ヘツヘツヘツ』とチヨンと頭《かしら》を下《さ》げて揉手《もみで》を為《し》て言《い》ふ。
『おゝ、其《そ》の面魂《つらだましひ》頼母《たのも》しい。満更《まんざら》の嘘《うそ》とは思《おも》はん。成程《なるほど》此方《こなた》が造《つく》つた像《ざう》は、目《め》も瞬《またゝ》かう、歩行《ある》かう、厭《いや》なものには拗《す》ねもせう。……然《さ》れば御身《おみ》は、少《わか》いものゝ尻圧《しりおし》して石《いし》に成《な》るまでも働《はたら》け、と励《はげ》ますのぢや。で、唆《そゝの》かすとは思《おも》ふまい。徒労力《むだぼね》をさせるとは知《し》るまい。が、私《わし》は、無駄《むだ》ぢや留《や》めい、と勧《すゝ》める……其《そ》の理由《わけ》を言《い》うて聞《き》かさう。
 其処《そこ》で、老爺《おやぢ》、』
『おい、』
『御身《おみ》が言《い》ふ、其《そ》の像《ざう》には血《ち》が通《かよ
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