領分に口寄《くちよせ》の巫女《いちこ》があると聞く、いまだ試みた事がない。それへ案内《あない》をせよ。太守は人麿の声を聞こうとしたのである。
しのびで、裏町の軒へ寄ると、破屋《あばらや》を包む霧寒く、松韻|颯々《さつさつ》として、白衣《びゃくえ》の巫女が口ずさんだ。
「ほのぼのと……」
太守は門口《かどぐち》を衝《つ》と引いた。「これよ。」「ははッ。」「巫女に謝儀をとらせい。……あの輩《やから》の教化は、士分にまで及ぶであろうか。」「泣きみ、笑いみ……ははッ、ただ婦女子のもてあそびものにござりまする。」「さようか――その儀ならば、」……仔細《しさい》ない。
が、孫八の媼《うば》は、その秋田辺のいわゆる(おかみん)ではない。越後路《えちごじ》から流漂《るひょう》した、その頃は色白な年増であった。呼込んだ孫八が、九郎判官は恐れ多い。弁慶が、ちょうはん、熊坂ではなく、賽《さい》の目の口でも寄せようとしたのであろう。が、その女|振《ぶり》を視《み》て、口説《くど》いて、口を遁《に》げられたやけ腹に、巫女の命とする秘密の箱を攫《さら》って我が家を遁げて帰らない。この奇略は、モスコオの退都
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