るほどの事さえも果さないうちに、昨年の夏、梅水が富士の裾野へ暑中の出店をして、避暑かたがた、お誓がその店を預ったのを知っただけで、この時まで、その消息を知らなかった次第なのである。……
その暑中の出店が、日光、軽井沢などだったら、雲のゆききのゆかりもあろう。ここは、関屋を五里六里、山路《やまみち》、野道を分入った僻村《へきそん》であるものを。――
――実は、銑吉は、これより先き、麓《ふもと》の西明寺の庫裡《くり》の棚では、大木魚の下に敷かれた、女持の提紙入《ハンドバック》を見たし、続いて、准胝観音《じゅんでいかんのん》の御廚子《みずし》の前に、菩薩が求児擁護《ぐうじようご》の結縁《けちえん》に、紅白の腹帯を据えた三方に、置忘れた紫の女|扇子《おうぎ》の銀砂子《ぎんすなご》の端《はし》に、「せい」としたのを見て、ぞっとした時さえ、ただ遥《はるか》にその人の面影をしのんだばかりであったのに。
かえって、木魚に圧《お》された提紙入には、美女の古寺の凌辱《りょうじょく》を危《あやぶ》み、三方の女扇子には、姙娠の婦人《おんな》の生死《しょうし》を懸念して、別に爺さんに、うら問いもしたのであ
前へ
次へ
全66ページ中27ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
泉 鏡花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング