まで、銑吉は実は瞳を据え、唇を緊《し》めて、驚破《すわ》といわばの気構《きがまえ》をしたのである。何より聞怯《ききお》じをした事は、いささかたりとも神慮に背くと、静流《しずかりゅう》がひらめくとともに、鼻を殺《そ》がるる、というのである。
これは、生命《いのち》より可恐《おそろし》い。むかし、悪性《あくしょう》の唐瘡《とうがさ》を煩ったものが、厠《かわや》から出て、嚔《くしゃみ》をした拍子に、鼻が飛んで、鉢前をちょろちょろと這った、二十三夜講の、前《さき》の話を思出す。――その鼻の飛んだ時、キャッと叫ぶと、顔の真中《まんなか》へ舌が出て、もげた鼻を追掛《おっか》けたというのである。鳥博士のは凍傷と聞いたが、結果はおなじい。
鼻をそがれて、顔の真中へ舌が出たのでは、二度と東京が見られない。第一汽車に乗せなかろう。
草生《くさおい》の坂を上る時は、日中《ひなか》三時さがり、やや暑さを覚えながら、幾度も単衣《ひとえ》の襟を正した。
銑吉は、寺を出る時、羽織を、観世音の御堂に脱いで、着流しで扇を持った。この形は、さんげ、さんげ、金剛杖《こうごうづえ》で、お山に昇る力もなく、登山靴で、
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