ったのであります。
「貴女《あなた》は煙草《たばこ》をあがりますか。」
私はお米さんが、その筒袖《こいぐち》の優しい手で、煙管《きせる》を持つのを視《み》てそう言いました。
お米さんは、控えてちょっと俯向《うつむ》きました。
「何事もわすれ草と申しますな。」
と尼さんが、能の面がものを言うように言いました。
「関さんは、今年三十五におなりですか。」
とお米さんが先へ数えて、私の年を訊《たず》ねました。
「三碧《さんぺき》のう。」
と尼さんが言いました。
「貴女は?」
「私は一つ上……」
「四緑《しろく》のう。」
と尼さんがまた言いました。
――略して申すのですが、そこへ案内もなく、ずかずかと入って来て、立状《たちざま》にちょっと私を尻目にかけて、炉の左の座についた一|人《にん》があります――山伏か、隠者か、と思う風采《ふうさい》で、ものの鷹揚《おうよう》な、悪く言えば傲慢《ごうまん》な、下手が画《え》に描いた、奥州めぐりの水戸の黄門といった、鼻の隆《たか》い、髯《ひげ》の白い、早や七十ばかりの老人でした。
「これは関さんか。」
と、いきなり言います。私は吃驚《びっくり》しました。
お米さんが、しなよく頷《うなず》きますと、
「左様か。」
と言って、これから滔々《とうとう》と弁じ出した。その弁ずるのが都会における私ども、なかま、なかまと申して私などは、ものの数でもないのですが、立派な、画の画伯方《せんせいがた》の名を呼んで、片端《かたっぱし》から、奴《やつ》がと苦り、あれめ、と蔑《さげす》み、小僧、と呵々《からから》と笑います。
私は五六尺|飛退《とびさが》って叩頭《おじぎ》をしました。
「汽車の時間がございますから。」
お米さんが、送って出ました。花菜の中を半《なかば》の時、私は香に咽《むせ》んで、涙ぐんだ声して、
「お寂しくおいでなさいましょう。」
と精一杯に言ったのです。
「いいえ、兄が一緒ですから……でも大雪の夜《よ》なぞは、町から道が絶えますと、ここに私一人きりで、五日も六日も暮しますよ。」
とほろりとしました。
「そのかわり夏は涼しゅうございます。避暑にいらっしゃい……お宿をしますよ。……その時分には、降るように蛍が飛んで、この水には菖蒲《あやめ》が咲きます。」
夜汽車の火の粉が、木の芽峠を蛍に飛んで、窓にはその菖蒲が咲いたのです――夢のようです。……あの老尼は、お米さんの守護神《まもりがみ》――はてな、老人は、――知事の怨霊《おんりょう》ではなかったか。
そんな事まで思いました。
円髷《まるまげ》[#ルビの「まるまげ」は底本では「まるはげ」]に結って、筒袖《こいぐち》を着た人を、しかし、その二人はかえって、お米さんを秘密の霞に包みました。
三十路《みそじ》を越えても、窶《やつ》れても、今もその美しさ。片田舎の虎杖になぞ世にある人とは思われません。
ために、音信《おとずれ》を怠りました。夢に所がきをするようですから。……とは言え、一つは、日に増し、不思議に色の濃くなる炉の右左の人を憚《はばか》ったのであります。
音信して、恩人に礼をいたすのに仔細《しさい》はない筈《はず》。けれども、下世話にさえ言います。慈悲すれば、何とかする。……で、恩人という、その恩に乗じ、情《なさけ》に附入るような、賤《いや》しい、浅ましい、卑劣な、下司《げす》な、無礼な思いが、どうしても心を離れないものですから、ひとり、自ら憚られたのでありました。
私は今、そこへ――
五
「ああ、あすこが鎮守だ――」
吹雪の中の、雪道に、白く続いたその宮を、さながら峰に築いたように、高く朦朧《もうろう》と仰ぎました。
「さあ、一息。」
が、その息が吐《つ》けません。
真俯向《まうつむ》けに行く重い風の中を、背後《うしろ》からスッと軽く襲って、裾《すそ》、頭《かしら》をどッと可恐《おそろし》いものが引包むと思うと、ハッとひき息になる時、さっと抜けて、目の前へ真白《まっしろ》な大《おおき》な輪の影が顕《あらわ》れます。とくるくると廻るのです。廻りながら輪を巻いて、巻き巻き巻込めると見ると、たちまち凄《すさま》じい渦になって、ひゅうと鳴りながら、舞上って飛んで行《ゆ》く。……行くと否や、続いて背後《うしろ》から巻いて来ます。それが次第に激しくなって、六ツ四ツ数えて七ツ八ツ、身体《からだ》の前後に列を作って、巻いては飛び、巻いては飛びます。巌《いわ》にも山にも砕けないで、皆北海の荒波の上へ馳《はし》るのです。――もうこの渦がこんなに捲《ま》くようになりましては堪えられません。この渦の湧立《わきた》つ処は、その跡が穴になって、そこから雪の柱、雪の人、雪女、雪坊主、怪しい形がぼッと立ちます。立って倒れる
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