《め》ばかりぱち/\させて、鐘《かね》の音《ね》も聞《きこ》えぬのを、徒《いたづら》に指《ゆび》を折《を》る、寂々《しん/\》とした板戸《いたど》の外《そと》に、ばさりと物音《ものおと》。
 民子《たみこ》は樹《き》を辷《すべ》つた雪《ゆき》のかたまりであらうと思《おも》つた。
 しばらくして又《また》ばさりと障《さは》つた、恁《かゝ》る時《とき》、恁《かゝ》る山家《やまが》に雪《ゆき》の夜半《よは》、此《こ》の音《おと》に恐氣《おぢけ》だつた、婦人氣《をんなぎ》はどんなであらう。
 富藏《とみざう》は疑《うたが》はないでも、老夫婦《らうふうふ》の心《こゝろ》は分《わか》つて居《ゐ》ても、孤家《ひとつや》である、この孤家《ひとつや》なる言《ことば》は、昔語《むかしがたり》にも、お伽話《とぎばなし》にも、淨瑠璃《じやうるり》にも、ものの本《ほん》にも、年紀《とし》今年《ことし》二十《はたち》になるまで、民子《たみこ》の耳《みゝ》に入《はひ》つた響《ひゞ》きに、一《ひと》ツとして、悲慘《ひさん》悽愴《せいさう》の趣《おもむき》を今《いま》爰《こゝ》に囁《さゝや》き告《つ》ぐる、材料《ざいれう》でないのはない。
 呼吸《いき》を詰《つ》めて、なほ鈴《すゞ》のやうな瞳《ひとみ》を凝《こら》せば、薄暗《うすぐら》い行燈《あんどう》の灯《ひ》の外《ほか》、壁《かべ》も襖《ふすま》も天井《てんじやう》も暗《くらが》りでないものはなく、雪《ゆき》に眩《くる》めいた目《め》には一《ひと》しほで、ほのかに白《しろ》いは我《われ》とわが、俤《おもかげ》に立《た》つ頬《ほゝ》の邊《あたり》を、確乎《しつか》とおさへて枕《まくら》ながら幽《かすか》にわなゝく小指《こゆび》であつた。
 あなわびし、うたてくもかゝる際《さい》に、小用《こよう》がたしたくなつたのである。
 もし。ふるへ聲《ごゑ》で又《また》、
 もし/\と、二聲《ふたこゑ》三聲《みこゑ》呼《よ》んで見《み》たが、目《め》ざとい老人《らうじん》も寐入《ねいり》ばな、分《わ》けて、罪《つみ》も屈託《くつたく》も、山《やま》も町《まち》も何《なん》にもないから、雪《ゆき》の夜《よ》に靜《しづ》まり返《かへ》つて一層《いつそう》寐心《ねごころ》の好《よ》ささうに、鼾《いびき》も聞《きこ》えずひツそりして居《ゐ》る。
 堪《たま》りかねて
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