休《やす》んでと、深切《しんせつ》にほだされて、懷《なつか》しさうに民子《たみこ》がいふのを、いゝえ、さうしては居《を》られませぬ、お荷物《にもつ》は此處《こゝ》へ、もし御遠慮《ごゑんりよ》はござりませぬ、足《あし》を投出《なげだ》して、裾《すそ》の方《はう》からお温《ぬくも》りなされませ、忘《わす》れても無理《むり》な路《みち》はなされますな。それぢやとつさん頼《たの》んだぜ、婆《ばあ》さん、いたはつて上《あ》げてくんなせい。
富藏《とみざう》さんとやら、といつて、民子《たみこ》は思《おも》はず涙《なみだ》ぐむ。
へい、奧《おく》さま御機嫌《ごきげん》よう、へい、又《また》通《とほ》りがかりにも、お供《とも》の御病人《ごびやうにん》に氣《き》をつけます。あゝ、いかい難儀《なんぎ》をして、おいでなさるさきの旦那樣《だんなさま》も御大病《ごたいびやう》さうな、唯《たゞ》の時《とき》なら橋《はし》の上《うへ》も、欄干《らんかん》の方《はう》は避《よ》けてお通《とほ》りなさらうのに、おいたはしい。お天道樣《てんたうさま》、何分《なにぶん》お頼《たの》み申《まを》しますぜ、やあお天道樣《てんたうさま》といや降《ふ》ることは/\。
あとに頼《たの》むは老人夫婦《らうじんふうふ》、之《これ》が又《また》、補陀落山《ふだらくさん》から假《かり》にこゝへ、庵《いほり》を結《むす》んで、南無《なむ》大悲《だいひ》民子《たみこ》のために觀世音《くわんぜおん》。
其《そ》の情《なさけ》で、饑《う》ゑず、凍《こゞ》えず、然《しか》も安心《あんしん》して寢床《ねどこ》に入《はひ》ることが出來《でき》た。
佗《わび》しさは、食《た》べるものも、着《き》るものも、こゝに斷《ことわ》るまでもない、薄《うす》い蒲團《ふとん》も、眞心《まごころ》には暖《あたゝか》く、殊《こと》に些《ちと》は便《たよ》りにならうと、故《わざ》と佛間《ぶつま》の佛壇《ぶつだん》の前《まへ》に、枕《まくら》を置《お》いてくれたのである。
心靜《こゝろしづか》に枕《まくら》には就《つ》いたが、民子《たみこ》は何《ど》うして眠《ねむ》られよう、晝《ひる》の疲勞《つかれ》を覺《おぼ》ゆるにつけても、思《おも》ひ遣《や》らるゝ後《のち》の旅《たび》。
更《ふ》け行《ゆ》く閨《ねや》に聲《こゑ》もなく、凉《すゞ》しい目
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