からだ》にこそ。
 口々《くち/″\》に押宥《おしなだ》め、民子《たみこ》も切《せつ》に慰《なぐさ》めて、お前《まへ》の病氣《びやうき》を看護《みと》ると謂《い》つて此處《こゝ》に足《あし》は留《と》められぬ。棄《す》てゝ行《ゆ》くには忍《しの》びぬけれども、鎭守府《ちんじゆふ》の旦那樣《だんなさま》が、呼吸《いき》のある内《うち》一目《ひとめ》逢《あ》ひたい、私《わたし》の心《こゝろ》は察《さつ》しておくれ、とかういふ間《ま》も心《こゝろ》は急《せ》く、峠《たうげ》は前《まへ》に控《ひか》へて居《ゐ》るし、爺《ぢい》や!
 もし奧樣《おくさま》。
 と土間《どま》の端《はし》までゐざり出《い》でて、膝《ひざ》をついて、手《て》を合《あは》すのを、振返《ふりかへ》つて、母衣《ほろ》は下《お》りた。
 一|臺《だい》の腕車《わんしや》二|人《にん》の車夫《しやふ》は、此《こ》の茶店《ちやみせ》に留《とゞ》まつて、人々《ひと/″\》とともに手當《てあて》をし、些《ちつ》とでもあがきが着《つ》いたら、早速《さつそく》武生《たけふ》までも其日《そのひ》の内《うち》に引返《ひつかへ》すことにしたのである。
 民子《たみこ》の腕車《くるま》も二人《ふたり》がかり、それから三|里半《りはん》だら/\のぼりに、中空《なかぞら》に聳《そび》えたる、春日野峠《かすがのたうげ》にさしかゝる。
 ものの半道《はんみち》とは上《のぼ》らないのに、車《くるま》の齒《は》の軋《きし》り強《つよ》く、平地《ひらち》でさへ、分《わ》けて坂《さか》、一|分間《ぷんかん》に一|寸《すん》づゝ、次第《しだい》に雪《ゆき》が嵩《かさ》増《ま》すので、呼吸《いき》を切《き》つても、もがいても、腕車《くるま》は一|歩《ぽ》も進《すゝ》まずなりぬ。
 前《まへ》なるは梶棒《かぢぼう》を下《おろ》して坐《すわ》り、後《あと》なるは尻餅《しりもち》ついて、御新造《ごしんぞ》さん、とても[#「とても」に傍点]と謂《い》ふ。
 大方《おほかた》は恁《か》くあらむと、期《ご》したることとて、民子《たみこ》も豫《あらかじ》め覺悟《かくご》したから、茶店《ちやみせ》で草鞋《わらぢ》を穿《は》いて來《き》たので、此處《こゝ》で母衣《ほろ》から姿《すがた》を顯《あらは》し、山路《やまぢ》の雪《ゆき》に下立《おりた》つと、早《は》や
前へ 次へ
全15ページ中7ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
泉 鏡花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング