、大根《だいこん》も引《ひ》く、屋根《やね》も葺《ふ》く、水《みづ》も汲《く》めば米《こめ》も搗《つ》く、達者《たつしや》なればと、この老僕《おやぢ》を擇《えら》んだのが、大《おほい》なる過失《くわしつ》になつた。
 いかに息災《そくさい》でも既《すで》に五十九、あけて六十にならうといふのが、内《うち》でこそはくる/\※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]《まは》れ、近頃《ちかごろ》は遠路《とほみち》の要《えう》もなく、父親《ちゝおや》が本《ほん》を見《み》る、炬燵《こたつ》の端《はし》を拜借《はいしやく》し、母親《はゝおや》が看經《かんきん》するうしろから、如來樣《によらいさま》を拜《をが》む身分《みぶん》、血《ち》の氣《け》の少《すく》ないのか、とやかくと、心遣《こゝろづか》ひに胸《むね》を騷《さわ》がせ、寒《さむ》さに骨《ほね》を冷《ひや》したれば、忘《わす》れて居《ゐ》た持病《ぢびやう》がこゝで、生憎《あいにく》此時《このとき》。
 雪《ゆき》は小止《をやみ》もなく降《ふ》るのである、見《み》る/\内《うち》に積《つも》るのである。
 大勢《おほぜい》が寄《よ》つて集《たか》り、民子《たみこ》は取縋《とりすが》るやうにして、介抱《かいほう》するにも、藥《くすり》にも、ありあはせの熊膽《くまのゐ》位《くらゐ》、其《それ》でも心《こゝろ》は通《つう》じたか、少《すこ》しは落着《おちつ》いたから一刻《いつこく》も疾《はや》くと、再《ふたゝ》び腕車《くるま》を立《た》てようとすれば、泥除《どろよけ》に噛《かじ》りつくまでもなく、與曾平《よそべい》は腰《こし》を折《を》つて、礑《はた》と倒《たふ》れて、顏《かほ》の色《いろ》も次第《しだい》に變《かは》り、之《これ》では却《かへ》つて足手絡《あしてまと》ひ、一式《いつしき》の御恩《ごおん》報《はう》じ、此《こ》のお供《とも》をと想《おも》ひましたに、最《も》う叶《かな》はぬ、皆《みんな》で首《くび》を縊《し》めてくれ、奧樣《おくさま》私《わし》を刺殺《さしころ》して、お心懸《こゝろがかり》のないやうに願《ねが》ひまする。おのれやれ、死《し》んで鬼《おに》となり、無事《ぶじ》に道中《だうちう》はさせませう、魂《たましひ》が附添《つきそ》つて、と血狂《ちくる》ふばかりに急《あせ》るほど、弱《よわ》るは老《おい》の身體《
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