其《そ》の爪先《つまさき》は白《しろ》うなる。
 下坂《くだりざか》は、動《うごき》が取《と》れると、一|名《めい》の車夫《しやふ》は空車《から》を曳《ひ》いて、直《す》ぐに引返《ひつかへ》す事《こと》になり、梶棒《かぢぼう》を取《と》つて居《ゐ》たのが、旅鞄《たびかばん》を一個《ひとつ》背負《しよ》つて、之《これ》が路案内《みちあんない》で峠《たうげ》まで供《とも》をすることになつた。
 其《そ》の鐵《てつ》の如《ごと》き健脚《けんきやく》も、雪《ゆき》を踏《ふ》んではとぼ/\しながら、前《まへ》へ立《た》つて足《あし》あとを印《いん》して上《のぼ》る、民子《たみこ》はあとから傍目《わきめ》も觸《ふ》らず、攀《よ》ぢ上《のぼ》る心細《こゝろぼそ》さ。
 千山《せんざん》萬岳《ばんがく》疊々《てふ/″\》と、北《きた》に走《はし》り、西《にし》に分《わか》れ、南《みなみ》より迫《せま》り、東《ひがし》より襲《おそ》ふ四圍《しゐ》たゞ高《たか》き白妙《しろたへ》なり。
 さるほどに、山《やま》又《また》山《やま》、上《のぼ》れば峰《みね》は益《ます/\》累《かさな》り、頂《いたゞき》は愈々《いよ/\》聳《そび》えて、見渡《みわた》せば、見渡《みわた》せば、此處《こゝ》ばかり日《ひ》の本《もと》を、雪《ゆき》が封《ふう》ずる光景《ありさま》かな。
 幸《さいはひ》に風《かぜ》が無《な》く、雪路《ゆきみち》に譬《たと》ひ山中《さんちう》でも、然《さ》までには寒《さむ》くない、踏《ふ》みしめるに力《ちから》の入《い》るだけ、却《かへ》つて汗《あせ》するばかりであつたが、裾《すそ》も袂《たもと》も硬《こは》ばるやうに、ぞつと寒《さむ》さが身《み》に迫《せま》ると、山々《やま/\》の影《かげ》がさして、忽《たちま》ち暮《くれ》なむとする景色《けしき》。あはよく峠《たうげ》に戸《と》を鎖《とざ》した一|軒《けん》の山家《やまが》の軒《のき》に辿《たど》り着《つ》いた。
 さて奧樣《おくさま》、目當《めあて》にいたして參《まゐ》つたは此《こ》の小家《こいへ》、忰《せがれ》は武生《たけふ》に勞働《はたらき》に行《い》つて居《を》り、留守《るす》は山《やま》の主《ぬし》のやうな、爺《ぢい》と婆《ばゞ》二人《ふたり》ぐらし、此處《こゝ》にお泊《とま》りとなさいまし、戸《と》を叩《たゝ》い
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