杉さん。」
 名を揚げよというなり。家を起せというなり。富の市を憎みて殺さむと思うことなかれというなり。ともすれば自殺せむと思うことなかれというなり。詮ずれば秀《ひで》を忘れよというなり。その事をば、母上の御名《おんな》にかけて誓えよと、常にミリヤアドのいえるなりき。
 予は黙してうつむきぬ。
「何もね、いまといっていま、あなたに迫るんじゃありません。どうぞ悪く思わないで下さいまし、しかしお考えなすッてね。」
 また顔見たり。
 折から咳入《せきい》る声聞ゆ。高津は目くばせして奥にゆきぬ。
 ややありて、
「じゃ、お逢い遊ばせ、上杉さんですよ、可《よ》うござんすか。」
 という声しき。
「新さん。」
 と聞えたれば馳《は》せゆきぬ。と見れば次の室《ま》は片付きて、畳に塵《ちり》なく、床花瓶《とこはないけ》に菊一輪、いつさしすてしか凋《しお》れたり。

     東枕

 襖《ふすま》左右に開きたれば、厚衾《あつぶすま》重ねたる見ゆ。東に向けて臥床《ふしど》設けし、枕頭《まくらもと》なる皿のなかに、蜜柑《みかん》と熟したる葡萄《ぶどう》と装《も》りたり。枕をば高くしつ。病める人は頭《かし
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