ね、車が石の上へ乗った時、私ゃソッと抱いてみたわ。」とぞ微笑《ほほえみ》たる、目には涙を宿したり。
「僕は何だか夢のようだ。」
「私だってほんとうにゃなりません位ひどくおやつれなすったから、ま、今に覧《み》てあげて下さいな。
 電報でもかけようか、と思ったのに。よく早く出京《で》て来てね。始終上杉さん、上杉さんッていっていらっしゃるから、どんなにか喜ぶでしょう。しかしね、急にまたお逢いなすっちゃ激するから、そッとして、いまに目をおさましなすッてから私がよくそういって、落着かしてからお逢いなさいましよ。腕車《くるま》やら、汽車やらで、新さん、あなたもお疲れだろうに、すぐこんなことを聞かせまして、もう私ゃ申訳がございません。折角お着き申していながら、どうしたら可《い》いでしょう、堪忍なさいよ。」

     菊の露

「もうもう思入《おもいれ》ここで泣いて、ミリヤアドの前じゃ、かなしい顔をしちゃいけません。そっとしておいてあげないと、お医師《いしゃ》が見えて、私が立廻ってさえ、早や何か御自分の身体《からだ》に異《かわ》ったことがあるのかと思って、直《すぐ》に熱が高くなりますからね。
 それでなくッてさえ熱がね、新さん四十《しじゅう》度の上あるんです。少し下るのは午前のうちだけで、もうおひるすぎや、夜なんざ、夢中なの。お薬を頂いて、それでまあ熱を取るんですが、日に四|度《たび》ぐらいずつ手巾《ハンケチ》を絞るんですよ。酷《ひど》いじゃありませんか。それでいて痰《たん》がこう咽喉《のど》へからみついてて、呼吸《いき》を塞《ふさ》ぐんですから、今じゃ、ものもよくは言えないんでね、私に話をして聞かしてと始終そういっちゃあね、詰《つま》らないことを喜んで聞いていらっしゃるの。
 どんなにか心細いでしょう。寝たっきりで、先月の二十日時分から寝返りさえ容易じゃなくッて、片寝でねえ。耳にまで床ずれがしてますもの。夜《よ》が永いのに眠られないで悩むのですから、どんなに辛いか分りません。話といったってねえ、新さん、酷く神経が鋭くなってて、もう何ですよ、新聞の雑報を聞かしてあげても泣くんですもの。何かねえ、小鳥の事か、木の実の話でもッておっしゃるけれど、どういっていいのか分らず、栗がおッこちるたって、私ゃ縁起が悪いもの。いいようがありません。それでなければ、治ってから片瀬の海浜にでも遊びにゆ
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