籠《こも》りたれ。面《おもて》合すに憚《はばか》りたれば、ソと物の蔭になりつ。ことさらに隔りたれば窃《ぬす》み聴かむよしもあらざれど、渠等《かれら》空駕籠は持て来たり、大方は家よりして迎《むかい》に来《きた》りしものならむを、手を空しゅうして帰るべしや。
一同が庵を去らむ時、摩耶もまた去らでやある、もの食わでもわれは餓えまじきを、かかるもの何かせむ。
打《うち》こぼし投げ払いし籠の底に残りたる、ただ一ツありし初茸《はつたけ》の、手の触れしあとの錆《さび》つきて斑《まだ》らに緑晶《ろくしょう》の色染みしさえあじきなく、手に取りて見つつわれ俯向《うつむ》きぬ。
顔の色も沈みけむ、日もハヤたそがれたり。濃かりし蒼空《あおぞら》も淡くなりぬ。山の端《は》に白き雲起りて、練衣《ねりぎぬ》のごとき艶《つやや》かなる月の影さし初《そ》めしが、刷《は》いたるよう広がりて、墨の色せる巓《いただき》と連《つらな》りたり。山はいまだ暮ならず。夕日の余波《なごり》あるあたり、薄紫の雲も見ゆ。そよとばかり風立つままに、むら薄《すすき》の穂|打靡《うちなび》きて、肩のあたりに秋ぞ染むなる。さきには汗出でて咽喉《のんど》渇くに、爺にもとめて山の井の水飲みたりし、その冷《ひやや》かさおもい出でつ。さる時の我といまの我と、月を隔つる思いあり。青き袷《あわせ》に黒き帯して瘠《や》せたるわが姿つくづくと※[#「目+句」、第4水準2−81−91]《みまわ》しながら寂《さみ》しき山に腰掛けたる、何人《なにびと》もかかる状《さま》は、やがて皆|孤児《みなしご》になるべき兆《きざし》なり。
小笹ざわざわと音したれば、ふと頭《かしら》を擡《もた》げて見ぬ。
やや光の増し来《きた》れる半輪の月を背に、黒き姿して薪《たきぎ》をば小脇にかかえ、崖《がけ》よりぬッくと出でて、薄原《すすきはら》に顕《あらわ》れしは、まためぐりあいたるよ、かの山番の爺なりき。
「まだ帰らっしゃらねえの。おお、薄ら寒くなりおった。」
と呟《つぶや》くがごとくにいいて、かかる時、かかる出会の度々なれば、わざとには近寄らで離れたるままに横ぎりて爺は去りたり。
「千ちゃん。」
「え。」
予は驚きて顧《みかえ》りぬ。振返れば女居たり。
「こんな処に一人で居るの。」
といいかけてまず微笑《ほほえ》みぬ。年紀《とし》は三十《みそじ》に近か
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