んな》頷《うなず》いた。
 浅ましいの何のじゃない。が、女中を二人連れて看病に駆着けて来た母親は、娘が不行為《ふしだら》とは考えない。男に膚《はだ》を許さないのを、恋するものが怨むためだ、と思ったそうです。
 とても宿じゃ、手が届かんで、県の病院へ入れる事になると、医者《せんせい》達は皆|頭《こうべ》を捻《ひね》った。病体少しも分らず、でただまあ応急手当に、例の仰反《のけぞ》った時は、薬を嗅《か》がせて正気づかせる外はないのです。
 ざっと一月半入院したが、病勢は日に日に募《つの》る。しかも力が強くなって、伸しかかって胸を圧《おさ》える看護婦に助手なんぞ、一所に両方へ投飛ばす、まるで狂人《きちがい》。
 そうかと思うと、食べるものも尋常だし、気さえ注《つ》けば、間違った口一つ利かない。天人のような令嬢なんで、始末に困った。
 すると、もう一人の少《わか》い方です。――お綾はその通りの仲だから、はじめから姉《あね》が病気のように心配をして、見舞にも行《ゆ》けば看病もしたが、暑中休暇になったので、ほとんど病院で附切り同様。
 妙な事には、この人が手を懸けると、直ぐに胸が柔かになる。開きは着かぬまでも三人四人で圧《おさ》え切れぬのが、静《しずか》に納まって、夢中でただ譫事《うわごと》を云うくらいに過ぎぬ。
 で、母親が、親にも頼んで、夜も詰め切ってもらったそうで。肥満女《ふとっちょ》の女中などは、失礼|無躾《ぶしつけ》構っちゃいられん。膚脱《はだぬぎ》の大汗を掻いて冬瓜《とうがん》の膝で乗上っても、その胸の悪玉に突離《つッぱな》されて、素転《すてん》ころりと倒れる。
(お綾様。お綾様。)
 と夜が夜中《よなか》、看病疲れにすやすやと寝ているのを起すと、訳はない、ちょいと手を載せて、
(おや、また来ているよ。……)
 誰某《たれそれ》だね……という工合《ぐあい》で、その時々の男の名を覚えて、串戯《じょうだん》のように言うと、病人が
(ああ、)
 と言って、胸の落着く処を、
(煩《うるさ》い人だよ。お帰り。)
 で、すっと撫で下ろす。」――

       三十四

「すると、取憑《とッつ》いた男どもが、眉間尺《みけんじゃく》のように噛合《かみあ》ったまま、出まいとして、乳《ち》の下を潜《くぐ》って転げる、其奴《そいつ》を追っ懸け追っ懸け、お綾が擦《さす》ると、腕へ辷《すべ》って、舞戻って、鳩尾《みずおち》をビクリと下って、膝をかけて畝《うね》る頃には、はじめ鞠《まり》ほどなのが、段々小さく、豆位になって、足の甲を蠢《うご》めいて、ふっと拇指《おやゆび》の爪から抜ける。その時分には、もう芥子粒《けしつぶ》だけもないのです、お綾さんの爪にも堪《たま》らず、消滅する。
 トはっと気を返して、恍惚《うっとり》目を開《あ》く。夢が覚めたように、起上って、取乱した態《なり》もそのまま、婦《おんな》同士、お綾の膝に乗掛《のりかか》って、頸《くび》に手を搦《から》みながら、切ない息の下で、
(済まないわね。)
 と言うのが、ほとんど例になっていたそうです。――お綾が、よく病人の気を知った事は、一日《あるひ》も痙攣が起って、人事不省なのを介抱していると、病人が、例に因って、
(来たよ。)
 と呻吟《うめ》く。
(……でしょうね、)
 と親類内の従兄《いとこ》とかで、これも関係のあった、――少年の名をお綾が云うと……
(ああ、青い幽霊、)
 と夢中で言った――処へひょっこり廊下から……脱いだ帽子を手に提げて、夏服の青いので生白《なましろ》い顔を出したのは、その少年で。出会頭《であいがしら》に聞かされたので、真赤《まっか》になって逃げたと言います。その癖お綾は一度も逢った事はないのだそうで。
 さあへ医師《いしゃ》は止《よ》しても、お綾は病人から手離せますまい。
 いつまで入院をしていても、ちっとも快方《いいほう》に向わないから、一旦《いったん》内へ引取って、静かに保養をしようという事になった時、貴婦人の母親は、涙でお綾の親達に頼んだんです。
 頼まれては否《いや》と言わぬ、職人|気質《かたぎ》で引受けたでしょう。
 途中の、不意の用心に、男が二人、母親と、女中と、今の二人の婦人《おんな》で、五台、人力車を聯《つら》ねて、倶利伽羅峠を越したのは、――ちょうど十年|前《ぜん》になる――
 同じ立場《たてば》で、車をがらがらと引込んで休んだのは、やっぱり、今残る、あの、一軒家。しかも車から出る、と痙攣《ひきつ》けて、大勢に抱え込まれて、お綾の膝に抱かれた処は。……
(先刻、貴下《あなた》が、怪《あやし》い姿で抱合っている処を蚊帳越に御覧なすった、母屋の、あの座敷です。)
 ッて貴婦人が言いましたっけ。
 お先達。」
 三造は酔えるがごとき対手《あいて》を呼んで、
「その時、私は更《あらた》めて、二人の婦人にこう言いました。
(時が時、折が折なんですから、実は何にも言出しはしませんでしたが、その日、広土間の縁の出張《でば》りに一人腰を掛けて、力餅《ちからもち》を食べていた、鳥打帽を冠《かぶ》って、久留米の絣《かすり》を着た学生がありました。お心は着かなかったでしょうが、……それは私です。……
 そして、その時の絵のような美しさが、可懐《なつか》しさの余り、今度この山越《やまごえ》を思い立って参ったんです。)
 お先達、事実なんです。」
 と三造は言った。
「これを聞いて少《わか》い女《ひと》が、
(そして貴下が、私を御覧なさいましたのは、その時が初めてですか、)
(いいえ、)
 と私が直ぐに答えた。
(違うかどうか分りませんが、その以前に二度あります。……一度は金沢の藪《やぶ》の内と言う処――城の大手前と対《むか》い合った、土塀の裏を、鍵《かぎ》の手形《てなり》。名の通りで、竹藪の中を石垣に従《つ》いて曲る小路《こうじ》。家も何にもない処で、狐がどうの、狸がどうの、と沙汰《さた》をして誰も通らない路《みち》、何に誘われたか一人で歩行《ある》いた。……その時、曲角《まがりかど》で顔を見ました。春の真昼間《まっぴるま》、暖い霞のような白い路が、藪の下を一条《ひとすじ》に貫いた、二三間|前《さき》を、一人通った娘があります。衣服《きもの》は分らず、何の織物か知りませんが、帯は緋色《ひいろ》をしていたのを覚えている。そして結目《むすびめ》が腰へ少し長目でした。ふらふらとついて見送って行《ゆ》く内に、また曲角で、それなり分らなくなったんです。)
 ――二人は顔を見合せました。」

       三十五

「私はまた……
(もう一度は、その翌年、やっぱり春の、正午《ひる》少し後《さが》った頃、公園の見晴しで、花の中から町中《まちなか》の桜を視《なが》めていると、向うが山で、居る処が高台の、両方から、谷のような、一ヶ所空の寂しい士町《さむらいまち》と思う所の、物干《ものほし》の上にあがって、霞を眺めるらしい立姿の女が見えた。それがどうも同じ女らしい。ロハ台を立って、柳の下から乗り出して、熟《じっ》と瞻《みまも》る内に、花吹雪がはらはらとして、それっきり影も見えなくなる、と物干の在所《ありか》も町の見当も分らなくなってしまった。……が、忘れられん、朧夜《おぼろよ》にはそこぞと思う小路々々を※[#「彳+淌のつくり」、第3水準1−84−33]※[#「彳+羊」、第3水準1−84−32]《さまよ》い※[#「彳+淌のつくり」、第3水準1−84−33]※[#「彳+羊」、第3水準1−84−32]い日を重ねて、青葉に移るのが、酔のさめ際のように心寂しくってならなかった――人は二度とも、美しい通魔《とおりま》を見たんだ、と言う……私もあるいはそうかと思った。)
 貴婦人が聞澄まして、
(二度目のは引越した処でしょう!)
 と少《わか》い人に言うんです。
(物干で、花見をしたり、藪《やぶ》の中を歩行《ある》いたり、やっぱり、皆《みんな》こういう身体《からだ》になる前兆でしょう。よく貴下《あなた》、お胸に留めて下さいました。姉さん、私もう一度緋色の帯がしめたいわ。)
 と、はらはらと落涙して、
(お恥かしいが……)
 ――と続いて話した。――
 で、途中介抱しながら、富山へ行って、その裁判長の家に落着く。医者では不可《いか》ん、加持祈祷《かじきとう》と、父親の方から我《が》を折ってお札、お水、護摩となると、元々そういう容体ですから、少しずつ治まって、痙攣《けいれん》も一日に二三度、それも大抵時刻が極《きま》って、途中不意に卒倒するような憂慮《きづかい》なし、二人で散歩などが出来るようになったそうです。
 一日《あるひ》、巴旦杏《はたんきょう》の実の青々した二階の窓際で、涼しそうに、うとうと、一人が寝ると、一人も眠った。貴婦人は神通川の方を裾で、お綾の方は立山の方《かた》を枕で、互違いに、つい肱枕《ひじまくら》をしたんですね。
 トントントン跫音《あしおと》がして、二階の梯子段《はしごだん》から顔を出した男がある。
 お綾が起返ると、いつも病人が夢中で名を呼ぶ……内証では、その惚話《のろけ》を言う、何とか云う男なんです。
 ずッと来て、裾から貴婦人の足を圧《おさ》えようとするから、ええ、不躾《ぶしつけ》な、姉《あね》を悩《なやま》す、病《やまい》の鬼と、床の間に、重代の黄金《こがね》づくりの長船《おさふね》が、邪気を払うといって飾ってあったのを、抜く手も見せず、颯《さっ》と真額《まびたい》へ斬付《きりつ》ける。天窓《あたま》がはっと二つに分れた、西瓜をさっくり切《や》ったよう。
 処へ、背後《うしろ》の窓下の屋根を踏んで、窓から顔を出した奴がある、一目見るや、膝を返しざまに見当もつけず片手なぐりに斬払って、其奴《そいつ》の片腕をばさりと落した。時に、巴旦杏の樹へ樹上《きのぼ》りをして、足を踏《ふんば》張って透見《すきみ》をしていたのは、青い洋服の少年です。
 お綾が、つかつかと屋根へ出て、狼狽《うろた》えてその少年の下りる処を、ぐいと突貫いたが、下腹で、ずるり腸《はらわた》が枝にかかって、主は血みどれ、どしんと落ちた。
 この光景《ありさま》に、驚いたか、湯殿口に立った髯面《ひげづら》の紳士が、絽羽織《ろばおり》の裾《すそ》を煽《あお》って、庭を切って遁《に》げるのに心着いて、屋根から飜然《ひらり》……と飛んだと言います。垣を越える、町を突切《つッき》る、川を走る、やがて、山の腹へ抱《だき》ついて、のそのそと這上《はいあが》るのを、追縋《おいすが》りさまに、尻を下から白刃《しらは》で縫上げる。
 ト頂に一人立って、こっちへ指さしをして笑ったものがある。エエ、と剣《つるぎ》を取って飛ばすと、胸元へ刺さって、ばったり、と朽木倒《くちきだおれ》。
 するする攀上《よじのぼ》って、長船のキラリとするのを死骸から抜取ると、垂々《たらたら》と湧《わ》く血雫《ちしずく》を逆手に除《と》り、山の端《は》に腰を掛けたが、はじめて吻《ほっ》と一息つく。――瞰下《みおろ》す麓《ふもと》の路へ集《たか》って、頭ばかり、うようよして八九人、得物を持って押寄せた。
 猶予《ためら》わず、すらりと立つ、裳《もすそ》が宙に蹴出《けだし》を搦《から》んで、踵《かかと》が腰に上《あが》ると同時に、ふっと他愛なく軽々と、風を泳いで下りるが早いか、裾がまだ地に着かぬ前《さき》に、提《ひっさ》げた刃《やいば》の下に、一人が帽子から左右へ裂けた。
 一同が、わっと遁《に》げる。……」

       三十六

「今はもう追うにも及ばず、するすると後《あと》を歩行《ある》きながら、刃《やいば》を振って、
(は、)
 と声懸けると、声に応じて、一人ずつ、どたり、ばたりで、算を乱した、……生木の枝の死骸《しがい》ばかり。
 いつの間にか、二階へ戻った。
 時に、大形の浴衣の諸膚脱《もろはだぬ》ぎで、投出《なげだ》した、白い手の貴婦人の二の腕へ、しっくり喰《くい》ついた若いもの、かねて聞いた、――これはその人の下宿へ出入りの八百屋だそ
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