の破目が大層で、此方《てまえ》へ閉ってます引手の処なんざ、桟がぶら下《さが》って行抜けの風穴《かざあな》で。二小間《ふたこま》青蒼《まっさお》に蚊帳が漏れて、裾《すそ》の紅麻《こうあさ》まで下へ透いてて、立つと胸まで出そうだから、覗《のぞ》くどころじゃありません。
 屈《かが》んで通抜けました。そこを除《よ》けて、わざわざ廻って、逆に小さな破《やぶれ》から透かして見ると……
 蚊帳|越《ごし》ですが、向うの壁に附着《くッつ》けた燈《あかり》と、対向《さしむか》いでよく分る。
 その灯《ひ》を背にして、こちら向きに起返っていたのは、年上の貴婦人で。蚊帳の萌黄《もえぎ》に色が淡く、有るか無いか分らぬ、長襦袢《ながじゅばん》の寝衣《ねまき》で居た。枕は袖の下に一個《ひとつ》見えたが、絹の四布蒲団《よのぶとん》を真中《まんなか》へ敷いた上に、掛けるものの用意はなく、また寝るつもりもなかったらしい――貴婦人の膝に突伏《つっぷ》して、こうぐっと腕《かいな》を掴《つか》まって、しがみついたという体《てい》で、それで※[#「女+(「島」の「山」に代えて「衣」)」、442−7]々《なよなよ》と力なさそうに背筋を曲《くね》って、独鈷入《とっこいり》の博多《はかた》の扱帯《しごき》が、一ツ絡《まつわ》って、ずるりと腰を辷《すべ》った、少《わか》い女は、帯だけ取ったが、明石《あかし》の縞《しま》を着たままなんです。
 泣いているのはそれですね。前刻《さっき》から多時《しばらく》そうやっていたと見えて、ただしくしく泣く。後《おく》れ毛が揺れるばかり。慰めていそうな貴婦人も、差俯向《さしうつむ》いて、無言の処で、仔細《しさい》は知れず……花室《はなむろ》が夜風に冷えて、咲凋《さきしお》れたという風情。
 その内に、肩越に抱くようにして投掛けていた貴婦人の手で脱がしたか、自分の手先で払ったか、少《わか》い女の片肌が、ふっくりと円く抜けると、麻の目が颯《さっ》と遮ったが、直《すぐ》に底澄《そこず》んだように白くなる……また片一方を脱いだんです。脱ぐと羅《うすもの》の襟が、肉置《ししおき》のほどの好《い》い頸筋《えりすじ》に掛《かか》って、すっと留まったのを、貴婦人の手が下へ押下げると、見る目には苛《いじ》らしゅう、引剥《ひっぱ》ぐように思われて、裏を返して、はらりと落ちて、腰帯さがりに飜った。
 と見ると、蒼白く透《とお》った、その背筋を捩《よじ》って、貴婦人の膝へ伸し上《あが》りざまに、半月形《はんげつなり》の乳房をなぞえに、脇腹を反らしながら、ぐいと上げた手を、貴婦人の頸《うなじ》へ巻いて、その肩へ顔を附ける……
 その半裸体の脇の下から、乳房を斜《はす》に掛けて、やァ、抉《えぐ》った、突いた、血が流れる、炎が閃《ひら》めいて燃えつくかと思う、洪《どっ》と迸《ほとばし》ったような真赤《まっか》な痣《あざ》があるんです。」
 山伏は大息ついて聞くのである。
「その痣を、貴婦人が細い指で、柔かにそろそろと撫でましたっけ。それさえ気味が悪いのに、十度《とたび》ばかり擦《さす》っておいて、円髷《まるまげ》を何と、少《わか》い女の耳許から潜《くぐ》らして、あの鼻筋の通った、愛嬌《あいきょう》のない細面《ほそおもて》の緊《しま》った口で、その痣《あざ》を、チュッと吸う、」
「うーむ、」
 と山伏は呻吟《うな》った。
「私は生血を吸うのだと震え上《あが》った。トどうかは知らんが、少《わか》い女の絡《から》んだ腕は、ひとりで貴婦人の頸《うなじ》を解けて、ぐたりと仰向《あおむ》けに寝ましたがね、鳩尾《みずおち》の下にも一ヶ所、めらめらと炎の痣。
 やがて、むっくりと起上って、身を飜した半身雪の、褄《つま》を乱して、手をつくと、袖が下《さが》って、裳《もすそ》を捌《さば》いて、四ツ這《ば》いになった、背中にも一ツ、赤斑《あかまだら》のある……その姿は……何とも言えぬ、女の狗《いぬ》。」
「ああ!」
「驚く拍子に、私が物音を立てたらしい。貴婦人が、衝《つ》と立つと、蚊帳越にパッと燈《あかり》を……少《わか》い女は這《は》ったままで掻消《かきけ》すよう――よく一息に、ああ消えたと思う。貴婦人の背の高かったこと、蚊帳の天井から真白な顔が突抜けて出たようで――いまだに気味の悪さが俤立《おもかげだ》ってちらちらします。
 あとは、真暗《まっくら》、蚊帳は漆《うるし》のようになった。」

       三十二

「何が何でも、そこに立っちゃいられんから、這《は》ったか、摺《ず》ったか、弁別《わきまえ》はない、凸凹《でこぼこ》の土間をよろよろで別亭《はなれ》の方へ引返すと……
 また、まあどうです。
 あの、雨戸がはずれて、月明りが靄《もや》ながら射込《さしこ》んでいる、折曲った縁側は、横縦にがやがやと人影が映って、さながら、以前、この立場《たてば》が繁昌《はんじょう》した、午飯頃《ひるめしごろ》の光景《ありさま》ではありませんか。
 入乱れて皆腰を掛けてる。
 私は構わず、その前を切って抜けようとしました。
 大胆だと思いますか――何《なあに》、そうではない。度胸も信仰も有るのではありません、がすべてこういう場合に処する奥の手が私にある。それは、何です、剣術の先生は足が顫《ふる》えて立縮《たちすく》んだが、座頭の坊は琵琶《びわ》を背負《しょ》ったなり四這《よつんば》いになって木曾の桟《かけはし》をすらすら渡り越したという、それと一般《ひとつ》。
 希代な事には、わざと胸に手を置いて寝て可恐《おそろし》い夢を平気で見ます。勿論夢と知りつつ慰みに試みるんです。が、夢にもしろ、いかにも堪《たま》らなくなると、やと叫んで刎起《はねお》きる、冷汗は浴《あび》るばかり、動悸《どうき》は波を立てていても、ちっとも身体《からだ》に別条はない。
 これです!
 いざとなれば刎起きよう、夢でなくって、こんな事があるべき筈《はず》のもんじゃない、と断念《あきら》めは附けましたが。
 突懸《つっかか》り、端に居た奴《やつ》は、くたびれた麦藁帽《むぎわらぼう》を仰《のけ》ざまに被《かぶ》って、頸窪《ぼんのくぼ》へ摺《ず》り落ちそうに天井を睨《にら》んで、握拳《にぎりこぶし》をぬっと上げた、脚絆《きゃはん》がけの旅商人《たびあきんど》らしい風でしたが、大欠伸《おおあくび》をしているのか、と見ると、違った! 空を掴《つか》んで苦しんでるので、咽喉《のど》から垂々《たらたら》と血が流れる。
 その隣座《となりざ》に、どたりと真俯向《まうつむ》けになった、百姓|体《てい》の親仁《おやじ》は、抜衣紋《ぬきえもん》の背中に、薬研形《やげんがた》の穴がある。
 で、ウンウン呻吟《うめ》く。
 少し離れて、青い洋服を着た少年の、二十ばかりで、学生風のが、頻《しき》りに紐《ひも》のようなものを持って腰の廻りを巻いてるから、帯でもするかと見ると、振《ぶ》ら下った腸《はらわた》で、切裂かれ臍《へそ》の下へ、押込もうとする、だくだく流れる血《あけ》の中で、一掴《ひとつかみ》、ずるりと詰めたが、ヒイッと悲鳴で仰向《あおむ》けに土間に転がり落ちると、その下になって、ぐしゃりと圧拉《ひしゃ》げたように、膝を頭《ず》の上へ立てて、蠢《うご》めいた頤髯《あごひげ》のある立派な紳士は、附元《つけもと》から引断《ひきき》れて片足ない、まるで不具《かたわ》の蟋蟀《きりぎりす》。
 もう、一面に算を乱して、溝泥《どぶどろ》を擲附《たたきつ》けたような血《のり》の中に、伸びたり、縮んだり、転がったり、何十人だか数が分りません。――
 いつの間にか、障子が透《す》けて、広い部屋の中も同断です。中にも目に着いたのは、一面の壁の隅に、朦朧《もうろう》と灰色の磔柱《はりつけばしら》が露《あら》われて、アノ胸を突反《つきそ》らして、胴を橋に、両手を開いて釣下《つりさが》ったのは、よくある基督《キリスト》の体《てい》だ。
 床柱と思う正面には、広い額の真中《まんなか》へ、五寸釘が突刺さって、手足も顔も真蒼《まっさお》に黄色い眼《まなこ》を赫《かっ》と※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みひら》く、この俤《おもかげ》は、話にある幽霊船《ゆうれいぶね》の船長《ふなおさ》にそっくり。
 大俎《おおまないた》がある、白刃《しらは》が光る、筏《いかだ》のように槍《やり》を組んで、まるで地獄の雛壇《ひなだん》です。
 どれも抱着《だきつ》きもせず、足へも縋《すが》らぬ。絶叫して目を覚ます……まだそれにも及ぶまい、と見い見い後退《あとじさ》りになって、ドンと突当ったまま、蹌踉《よろ》けなりに投出されたように浅茅生《あさぢう》へ出た。
(はああ。)
 と息を引いた、掌《てのひら》へ、脂《あぶら》のごとく、しかも冷い汗が、総身《そうみ》を絞って颯《さっ》と来た。
 例の草清水《くさしみず》がありましょう。
 日蝕《にっしょく》の時のような、草の斑《まだら》に黒い、朦《もう》とした月明りに、そこに蹲《しゃが》んだ男がある。大形の浴衣の諸膚脱《もろはだぬぎ》で、毛だらけの脇を上げざまに、晩方、貴婦人がそこへ投《ほう》った、絹の手巾《ハンケチ》を引伸《ひんの》しながら、ぐいぐいと背中を拭《ふ》いている。
 これは人間らしいと、一足寄って、
(君……)
 と掠《かす》れた声を掛けると、驚いた風にぬっくりと立ったが、瓶《かめ》のようで、胴中《どうなか》ばかり。
(首はないが交際《つきあ》うけえ。)
 と、野太い声で怒鳴《どな》られたので、はっと思うと、私も仰向《あおむ》けに倒れたんです。
 やがて、気のついた時は、少《わか》い人の膝枕で、貴婦人が私の胸を撫でていました。」

       三十三

「お先達、そこで二人して交《かわ》るがわる話しました。――峠の一軒家を買取ったのは、貴婦人なんです。
 これは当時石川県のある顕官《けんかん》の令夫人、以前は某《なにがし》と云う一時富山の裁判長だった人の令嬢で、その頃この峠を越えて金沢へ出て、女学校に通っていたのが、お綾と云う、ある蒔絵師《まきえし》の娘と一つ学校で、姉妹のように仲が好《よ》かったんだそうです。
 対手《さき》は懺悔《ざんげ》をしたんですが、身分を思うから名は言いますまい。……貴婦人は十八九で、もう六七人|情人《じょうじん》がありました。多情な女で、文ばかり通わしているのや、目顔で知らせ合っただけなのなんぞ――その容色《きりょう》でしかも妙齢《としごろ》、自分でも美しいのを信じただけ、一度|擦違《すれちが》ったものでも直ぐに我を恋うると極《き》めていたので――胸に描いたのは幾人だか分らなかった。
 罪の報《むくい》か。男どもが、貴婦人の胸の中で掴《つか》み合いをはじめた。野郎が恐らくこのくらい気の利かない話はない。惚《ほ》れた女の腹の中で、じたばたでんぐり返しを打って騒ぐ、噛《か》み合う、掴み合う、引掻《ひっか》き合う。
 この騒ぎが一団《ひとかたまり》の仏掌藷《つくねいも》のような悪玉《あくだま》になって、下腹から鳩尾《みずおち》へ突上げるので、うむと云って歯を喰切《くいしば》って、のけぞるという奇病にかかった。
 はじめの内は、一日に、一度二度ぐらいずつで留《とま》ったのが、次第に嵩《こう》じて、十回以上、手足をぶるぶると震わして、人事不省で、烈《はげ》しい痙攣《けいれん》を起す容体だけれども、どこもちっとも痛むんじゃない。――ただ夢中になって反っちまって、白い胸を開けて見ると、肉へ響いて、団《かたまり》が動いたと言います。
 三度五度は訳も解らず、宿のものが回生剤《きつけ》だ、水だ、で介抱して、それでまた開きも着いたが、日一日数は重なる。段々開きが遅くなって、激《はげし》い時は、半時も夢中で居る。夢中で居ながら、あれ、誰《た》が来て怨《うら》む、彼《か》が来て責める、咽喉《のど》を緊《し》める、指を折る、足を捻《ねじ》る、苦しい、と七転八倒。
 情人が押懸けるんです。自分で口走るので、さては、と皆《み
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