リと留《や》むと、所在紛らし、谷の上の靄《もや》を視《なが》めて縁に立った、私の直ぐ背後《うしろ》で、衣摺《きぬず》れが、はらりとする。
小さな咳《しわぶき》して、
(今に月が出ますと、ちっとは眺望《ながめ》になりますよ。)
と声を掛けます。はて違うぞ、と上から覗《のぞ》くように振向く。下に居て、そこへ、茶盆を直した処、俯向《うつむ》いた襟足が、すっきりと、髪の濃いのに、青貝摺《あおがいずり》の櫛が晃《きら》めく、鬢《びん》も撫《なで》つけたらしいが、まだ、はらはらする、帯はお太鼓にきちんと極《き》まった、小取廻《こどりまわ》しの姿の好《よ》さ。よろけ縞《じま》の明石《あかし》を透いて、肩から背《せな》がふっくりと白かった――若い方の婦人《おんな》なんです。
お馴染《なじみ》の貴婦人だとばかり、不意を喰《くら》って、
(いらっしゃい。)
と調子を外ずして、馬鹿な言《こと》を、と思ったが、仕方なしに笑いました。で、照隠《てれかく》しに勢《いきおい》よく煙草盆《たばこぼん》の前へ坐る……
(お邪魔に出ましてございます。)
莞爾《にっこり》して顔を上げた、そのぱっちりしたのをやや細
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