出した。
 こいつ嗅《か》がされては百年目、ひょいと立って退《すさ》ったげな、うむと呼吸《いき》を詰めていて、しばらくして、密《そっ》と嗅ぐと、芬《ぷん》と――貴辺《あなた》。
 ここが可訝《おかし》い。
 何とも得《え》知れぬ佳《い》い薫《かおり》が、露出《むきだし》の胸に冷《ひや》りとする。や、これがために、若衆は清涼剤《きつけ》を飲んだように気が変って、今まで傍目《わきめ》も触《ふ》らずにいました蟇《ひきがえる》の虹を外して、フト前途《むこう》を見る、と何と、一軒家の門《かど》を離れた、峠の絶頂、馬場の真中《まんなか》、背後《うしろ》へ海のような蒼空《あおぞら》を取廻して、天涯に衝立《ついたて》めいた医王山《いおうせん》の巓《いただき》を背負《しょ》い、颯《さっ》と一幅《ひとはば》、障子を立てた白い夕靄《ゆうもや》から半身を顕《あら》わして、錦《にしき》の帯は確《たしか》に見た。……婦人《おんな》が一人……御殿女中の風をして、」
 ――顔を合わせた。――
「御殿女中の?……」
 と三造は聞返す。
「お聞きなされ、その若衆《わかいしゅ》の話でござって――ト見ると、唇がキラキラと玉虫
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