ました。」
「どんな事ですか。」
 少し急込《せきこ》んで聞きながら、境は楯《たて》に取った上坂《のぼりざか》を見返った。峠を蔽《おお》う雲の峰は落日の余光《なごり》に赤し。
 行者の頬も夕焼けて、
「順に申さんと余り唐突でございますで――一体かようでございます。
 峠で力餅《ちからもち》を売りました、三四軒茶屋|旅籠《はたご》のございました、あの広場《ひろッぱ》な、……俗に猿ヶ|馬場《ばんば》――以前|上下《のぼりくだり》の旅人で昌《さか》りました時分には、何が故に、猿ヶ馬場だか、とんと人力車の置場のようでござりましたに、御存じの汽車が、この裾《すそ》を通るようになりましてからは、富山の薬売、城端《じょうはな》のせり呉服も、碌《ろく》に越さなくなりまして、年一年、その寂れ方というものは、……それこそまた、猿《えて》どもが寄合場《よりあいば》になったでございます。
 ところで、峠の茶屋連中、山家《やまが》ものでも商人《あきんど》は利に敏《さと》い――名物の力餅を乾餅《かきもち》にして貯えても、活計《くらし》の立たぬ事に疾《はや》く心着いて、どれも竹の橋の停車場前へ引越しまして、袖無しの
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