きか》うあたりは、目に見えぬ木《こ》の葉が舞い、霧が降る。
 涼しさが身に染みて、鐸か、声か、音か、蜩《ひぐらし》の、と聞き紛《まが》うまで恍惚《うっとり》となった。目前《めのさき》に、はたと落ちた雲のちぎれ、鼠色の五尺の霧、ひらひらと立って、袖擦れにはっと飛ぶ。
「わっ。」
 と云って、境は驚駭《おどろき》の声を揚げた。
 遮る樹立の楯《たて》もあらず、霜夜に凍《い》てたもののごとく、山路へぬっくと立留まった、その一団の霧の中に、カラカラと鐸が鳴ったが、
「ほう――」
 と梟《ふくろ》のような声を発した。面《つら》赭黒《あかぐろ》く、牙《きば》白く、両の頬に胡桃《くるみ》を噛《か》み破《わ》り、眼《まなこ》は大蛇《おろち》の穴のごとく、額の幅約一尺にして、眉は栄螺《さざえ》を並べたよう。耳まで裂けた大口を開《あ》いて、上から境を睨《ね》め着けたが、
「これは、」
 と云う時、かっしと片腕、肱《ひじ》を曲げて、その蟹《かに》の甲羅《こうら》を面形《めんがた》に剥《は》いで取った。
 四十余りの総髪《そうがみ》で、筋骨|逞《たく》ましい一漢子《いっかんし》、――またカラカラと鳴った――鐸
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