、金蒔絵《きんまきえ》の大形の見事な食籠《じきろう》……形《がた》の菓子器ですがね。中には加賀の名物と言う、紅白の墨形《すみがた》の落雁《らくがん》が入れてありました。ところで、蓋《ふた》から身をかけて、一面に蒔《ま》いた秋草が実に見事で、塗《ぬり》も時代も分らない私だけれども、精巧さはそれだけでも見惚《みと》れるばかりだったのに、もう落雁の数が少なく、三人が一ツずつで空《から》になると、その底に、何にもない漆《うるし》の中へ、一ツ、銀で置いた松虫がスーイと髯《ひげ》を立てた、羽のひだも風を誘って、今にもりんりんと鳴出しそうで、余り佳《い》いから、あっ、と賞《ほ》めると、貴婦人が、ついした風で、
(これは、お綾さんのお父《とっ》さんが。この重箱の蒔絵もやっぱり、)
 と言いかける、と、目配せをした目が衝《つ》と動いた。少《わか》いのはまた颯《さっ》と瞼《まぶた》を染めたんです。
 で、悪い、と知ったから、それっきり、私も何にも言いはしなかった。けれどもどうやらお綾さんが人間らしくなって来たので、いささか心を安《やすん》じたは可《い》いが――寝るとなると、櫛の寝息に、追続いた今の呻吟《う
前へ 次へ
全139ページ中108ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
泉 鏡花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング