》しいかも知れません。それだと直きそこに綺麗なのが湧《わ》いていますけれども、こんな時節には蛇が来て身体《からだ》を冷《ひや》すと申しますから。……)
 この様子では飲料《のみもの》で吐血《とけつ》をしそうにも思われないから、一息に煽《あお》りました。実はげっそりと腹も空いて。
 それを見ながら今の続きを、……
(ほんとに心細いんですわ。もう、おっしゃいます通り、こんな山の中で、幾日《いくか》も何日もないようですが、確か、あの十三四日の月夜ですのね、里では、お盆でしょう。――そこいらの谷の底の方に、どうやら、それらしい燈籠《とうろう》の灯が、昨夜《ゆうべ》幽《かすか》に見えましたわ……ぽっちりよ。)
 と蓮葉《はすは》に云ったが、
(蛍くらいに。)
 そのままで、わざとでもなく、こう崖へかけて俯向《うつむ》き加減に、雪の手を翳《かざ》した時は、言うばかりない品が備わって、気高い程に見えました。
(どんなに、可懐《なつか》しゅうござんしたでしょう。)
 たちまち悄《しお》れて涙ぐむように、口許が引しまった。
 見ると堪《たま》らなくなって、
(そのかわり、また、里から眺めて、自然こうやってお縁側でも開いていて、フトこの燈火《ともしび》が見えましたら、どんなにか神々《こうごう》しい、天上の御殿のように思われましょう。)
 なぜ山住居《やまずまい》をせらるる、と聞く間もなしに慰めたんです。
 あどけなく頭《かぶり》を振って、
(いいえ、何の、どこか松の梢《こずえ》に消え残りました、寂《さみ》しい高燈籠《たかとうろう》のように見えますよ。里のお墓には、お隣りもお向うもありますけれど、ここには私|唯一人《ひとりきり》。)
 小指を反らして、爪尖《つまさき》を凝《じっ》と見て、
(ほんとに貴下《あなた》、心細い。蓮《はす》の台《うてな》に乗ったって一人切《ひとりぼっち》では寂《さみ》しいんですのに、おまけにここは地獄ですもの。)
(地獄。)
 と言って聞返しましたがね、分別もなしに、さてはと思った。それ、貴下《あなた》の一件です。」
「鬼の面、鬼の面。」
 と山伏は頭を掻く。
「ところが違います。私もてっきり……だろうと思って、
(貴女《あなた》、唐突《だしぬけ》ですが、昼間変なものの姿を見て、それで、厭《いや》な、そんな忌《いま》わしい事をおっしゃるんじゃありませんか、きっとそうでしょう。)
 に極《き》めてかかって、
(御心配はありません。あれは、麓《ふもと》の山伏が……)
 ッて、ここで貴下の話をしました。
 ついては、ちっと繕って、まあ、穏かに、里で言う峠の風説《うわさ》――面と向っているんですから、そう明白《あからさま》にも言えませんでしたが、でも峠を越すものの煩うぐらいの事は言った。で、承った通り、現にこの間も、これこれと、向う顱巻《はちまき》の豪傑が引転《ひっくり》かえったなぞは、対手《あいて》の急所だ、と思って、饒舌《しゃべ》ったには饒舌りましたが、……自若としている。」
「自若として、」
「それは実に澄ましたものです。蟇《ひきがえる》が出て鼬《いたち》の生血《いきち》を吸ったと言っても、微笑《ほほえ》んでばかりいるじゃありませんか。早く安心がしたくもあるし、こっちは急《あせ》って、
(なぜまたこんな処にお一人で。)
 と思い切って胸を据えると、莞爾《にっこり》して、
(だって、山蟻《やまあり》の附着《くッつ》いた身体《からだ》ですもの。)
 と肩をぶるぶると震わしてしっかりと抱いた、胸に夕顔の花がまたほのめく。……ああ、魂というものは、あんな色か、と婦《おんな》に玉の緒を取って扱《しご》かれたように、私がふらふらとした時、
(貴下《あなた》、)
 と顔を上げて、凝《じっ》とまた見ました。」

       二十六

「色めいた媚《なまめ》かしさ、弱々と優しく、直ぐに男の腕へ入りそうに、怪しい翼を掻窘《かいすく》めて誘込むといった形。情に堪えないで、そのまま抱緊《だきし》めでもしようものなら、立処《たちどころ》にぱッと羽搏《はばた》きを打つ……たちまち蛇が寸断《ずたずた》になるんだ。何のその術《て》を食うものか、とぐっと落着いて張合った気で見れば、余りしおらしいのが癪《しゃく》に障った。
 が、それは自分勝手に、対手《さき》が色仕掛けにする……いや、してくれる……と思った、こっちが大の自惚《うぬぼれ》……
 もっての外です。
 実は、涙をもって、あわれに、最惜《いとお》しく、その胸を抱いて様子を見るべき筈《はず》で。やがてまた、物凄《ものすご》さ恐しさに、戦《おのの》き戦き、その膚《はだ》を見ねばならんのでした。」――
 と語りかけて、なぜか三造は歎息した。
 山伏は茶盆を突退《つきの》けて、釜《かま》の此方《こなた》へ乗
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