火+發」、396−5]《ぱっ》と冴えて、埃《ほこり》は見えぬが、休息所の古畳。まちなし黒木綿の腰袴《こしばかま》で、畏《かしこま》った膝に、両の腕《かいな》の毛だらけなのを、ぬい、と突いた、賤《いや》しからざる先達が総髪《そうがみ》の人品は、山一つあなたへ獅噛《しかみ》を被って参りしには、ちと分別が見え過ぎる。
「怪《け》しからぬ山伏め、と貴辺《あなた》がお思いなされたで好都合。その御婦人が手前の異形に驚いて、恍惚《うっとり》となられる。貴辺《あなた》は貴辺で、手前の野譫言《のたわごと》を真実と思召し、そりゃこそ鬼よ、触らぬ神に祟《たた》りなしの御思案で、またまたお見棄てになったとしまする、御婦人がそれなりで御覧《ごろう》じろ、手前は立派な人殺《ひとごろし》でございます。何も、げし人《にん》に立派は要らぬが、承りましただけでも、冷汗になりますで。
いや、それにつけても、」
と山伏の肩が聳《そび》え、
「物事と申すは、よく分別をすべきであります。私《てまえ》ども身柄、鬼神を信ぜぬと云うもいかがですが、軽忽《かるはずみ》に天窓《あたま》から怪《あやし》くして、さる御令嬢を、蟇《ひきがえる》、土蜘蛛の変化《へんげ》同然に心得ましたのは、俗にそれ……棕櫚箒《しゅろぼうき》が鬼、にも増《まさ》った狼狽《うろた》え方、何とも恥入って退《の》けました。
――(山伏め、何を吐《ぬか》す。)――結構でござるとも。その御婦人をお救けなさって、手前もお庇《かげ》で助かりました。
いかにも、不意に貴辺《あなた》にお出逢い申したに就いて、体《てい》の可《い》い怪談をいたし、その実、手前、峠において、異変なる扮装《いでたち》して、昼強盗、追落《おいおとし》はまだな事、御婦人に対し、あるまじき無法不礼を働いたように思召したも至極の至りで。」
「まあ、お先達、貴下《あなた》、」
対向《さしむか》いの三造は、脚絆《きゃはん》を解いた痩脛《やせずね》の、疲切《つかれき》った風していたのが、この時遮る。……
「いやいや、仰せではありますが、早い話が、これが手前なら、やっぱり貴辺をそう存ずる、……道でござる、理でございます。
しかし笑って遣わされ。まず山中毒《やまあたり》とでも申すか、五里霧中とやらに※[#「彳+羊」、第3水準1−84−32]徊《さまよ》いました手前、真人間から見ますると狂人の沙汰ですが、思いの外時刻が早く、汽車で時の間《ま》に立帰りましたのを、何か神通で、雲に乗つて馳《は》せ戻ったほどの意気組。その勢《いきおい》でな、いらだか、苛《いら》って、揉《もみ》上げ、押摺《おしす》り、貴辺が御無事に下山のほどを、先刻この森の中へ、夢のようにお立出《たちい》でになった御姿を見まするまで、明王の霊前に祈《いのり》を上げておりました。
それもって、貴辺が、必定、お立寄り下さると信じましたからで。
信じながらも、思い懸けぬ山路《やまみち》に一人|憩《やす》んでござった、あの御様子を考えると、どうやら、遠い国で、昔々お目に懸《かか》ったような、茫《ぼう》とした気がしまして、眼前《めのまえ》に焚《た》きました護摩《ごま》の果《はて》が霧になって森へ染み、森へ染み、峠の方《かた》を蔽《おお》い隠すようにもござった。……
何にせよ、私《てまえ》どうかしていたと見えます。兎はちょいちょい、猿も時々は見懸けますが、狐狸は気もつきませぬに、穴の中からでも魅《や》りましたかな。
明王もさぞ呆れ返って、苦笑いなされたに相違ござらん。私《てまえ》のその痴《たわ》けさ加減、――ああ、御無事を祈るに、お年紀《とし》も分らぬ、貴辺の苗字だけでも窺《うかが》っておこうものを、――心着かぬことをした。」
総髪をうしろへ撫でる。
「などと早や……」
三造は片手をちゃんと炉縁《ろぶち》に支《つ》いて、
「難有《ありがと》う存じます。御厚意、何とも。」
十七
更《あらた》めて、
「お先達、そうやって貴下《あなた》は、御自分お心得違いのようにばかりお言いですが、――その人を抱き起して美しい顔を見た時、貴下に対して心得違いしましたのは、私の方じゃありませんか。
そして、無事、」
と言い懸けたが、寂しい顔をした、――実は、余り無事でばかりもなかったのであるから。
「ともかくも……峠を抜けられましたのは、貴下が御祈念の功徳かも知れません――確《たしか》に功徳です。
そうでないと、今頃どうなっていたか自分で自分が解らんのです。何ともお礼の申上げようはありません。実際。
その人だって、またそうです――あの可恐《おそろし》い面のために気絶をした。私が行《ゆ》かないとそのまま一命が終ったかも知れない、と言えば、貴下に取って面倒になりますけれども、ただ夢のように思っ
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