》処をごろごろ廻る。
 つい、路傍《みちばた》の足許《あしもと》故に、
(叱《しつ》! 叱!)
 と追ってみたが、同一《おなじ》処をちょっとも動かず、四足をびりびりと伸べつ、縮めつ、白い面《つら》を、目も口も分らぬ真仰向《まあおむ》けに、草に擦《すり》つけ擦つけて転げる工合《ぐあい》が、どうも狗《いぬ》ころの戯《じゃ》れると違って、焦茶《こげちゃ》色の毛の火になるばかり、悶《もだ》え苦《くるし》むに相違ござらん。
 大蛇《うわばみ》でも居て狙《ねら》うか、と若い者ちと恐気《おじけ》がついたげな、四辺《あたり》に紛《まが》いそうな松の樹もなし、天窓《あたま》の上から、四斗樽《しとだる》ほどな大蛇《だいじゃ》の頭が覗《のぞ》くというでもござるまい。
 なお熟《じっ》と瞻《みまも》ると、何やら陽炎《かげろう》のようなものが、鼬の体から、すっと伝《つたわ》り、草の尖《さき》をひらひらと……細い波形に靡《なび》いている。はてな、で、その筋を据眼《すえまなこ》で、続く方へ辿《たど》って行《ゆ》くと……いや、解《よ》めましたて。
 右の一軒家の軒下に、こう崩れかかった区劃石《くぎりのいし》の上に、ト天を睨《にら》んだ、腹の上へ両方の眼《まなこ》を凸《なかだか》、シャ! と構えたのは蟇《ひきがえる》で――手ごろの沢庵圧《たくあんおし》ぐらいあろうという曲者《くせもの》。
 吐《つ》く息あたかも虹《にじ》のごとしで、かッと鼬に吹掛ける。これとても、蚊《か》や蜉蝣《ぶゆ》を吸うような事ではござらん、式《かた》のごとき大物をせしめるで、垂々《たらたら》と汗を流す。濡色が蒼黄色《あおぎいろ》に夕日に光る。
 怪しさも、凄《すご》さもこれほどなら朝茶の子、こいつ見物《みもの》と、裾を捲《まく》って、蹲《しゃが》み込んで、
(負けるな、ウシ、)
 などと面白半分、鼬殿を煽《あお》ったが、もう弱ったか、キチキチという声も出ぬ。だんだんに、影が薄くなったと申す事で。」

       九

「その内に、同じく伸《のッ》つ、反《そッ》つ、背中を橋に、草に頸窪《ぼんのくぼ》を擦りつけながら、こう、じりりじりりと手繰《たぐ》られる体《てい》に引寄せられて、心持動いたげにございました。
 発奮《はず》んで、ずるずると来た奴《やつ》が、若衆《わかいしゅ》の足許で、ころりと飜《かえ》ると、クシャッと異変な声を出した。
 こいつ嗅《か》がされては百年目、ひょいと立って退《すさ》ったげな、うむと呼吸《いき》を詰めていて、しばらくして、密《そっ》と嗅ぐと、芬《ぷん》と――貴辺《あなた》。
 ここが可訝《おかし》い。
 何とも得《え》知れぬ佳《い》い薫《かおり》が、露出《むきだし》の胸に冷《ひや》りとする。や、これがために、若衆は清涼剤《きつけ》を飲んだように気が変って、今まで傍目《わきめ》も触《ふ》らずにいました蟇《ひきがえる》の虹を外して、フト前途《むこう》を見る、と何と、一軒家の門《かど》を離れた、峠の絶頂、馬場の真中《まんなか》、背後《うしろ》へ海のような蒼空《あおぞら》を取廻して、天涯に衝立《ついたて》めいた医王山《いおうせん》の巓《いただき》を背負《しょ》い、颯《さっ》と一幅《ひとはば》、障子を立てた白い夕靄《ゆうもや》から半身を顕《あら》わして、錦《にしき》の帯は確《たしか》に見た。……婦人《おんな》が一人……御殿女中の風をして、」
 ――顔を合わせた。――
「御殿女中の?……」
 と三造は聞返す。
「お聞きなされ、その若衆《わかいしゅ》の話でござって――ト見ると、唇がキラキラと玉虫色、……それが、ぽっちり燃えるように紅《あか》くなったが、莞爾《にっこり》したげな。
 若衆は、一支えもせず、腰を抜いたが、手を支《つ》く間もない、仰向《あおの》けに引《ひっ》くりかえる。独りでに手足が動く、ばたばたはじまる。はッあァ、鼬の形と同一《おんなじ》じゃ。と胸を突くほど、足が窘《すく》む、手が縮まる、五体を手毬《てまり》にかがられる……六万四千の毛穴から血が颯《さっ》と霧になって、件《くだん》のその紅い唇を染めるらしい。草に頸《うなじ》を擦着け擦着け、
(お助け下さい、お助け!)……
 と頭《ず》で尺取って、じりじりと後退《あとずさ》り、――どうやらちっと、緊《し》めつけられた手足の筋の弛《ゆる》んだ処で、馬場の外れへ俵転がし、むっくりこと天窓《あたま》へ星を載《の》せて、山端《やまばな》へ突立《つった》つ、と目が眩《くら》んだか、日が暮れたか、四辺《あたり》は暗くなって何も見えぬ。
 で、見返りもせず、逆落し、旧《もと》の坂をどどどッと駆下りる――いやもう途中、追々ものの色が分るにつけ、山茨《やまいばら》の白いのも女の顔に顕《あら》われて、呼吸《いき》も吐《つ》けずに遁《に
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