なこ》は黄金《こがね》、髯《ひげ》白銀《しろがね》の、六尺有余の大彫像、熊坂長範《くまさかちょうはん》を安置して、観音扉《かんのんびらき》を八文字に、格子も嵌《は》めぬ祠《ほこら》がある。ために字《あざな》を熊坂とて、俗に長範の産地と称《とな》える、巨盗の出処は面白い。祠は立場《たてば》に遠いから、路端《みちばた》の清水の奥に、蒼《あお》く蔭り、朱に輝く、活《い》けるがごとき大盗賊の風采《ふうさい》を、車の上からがたがたと、横に視《なが》めて通った事こそ。われ御曹子《おんぞうし》ならねども、この夏休みには牛首を徒歩《かちあるき》して、菅笠《すげがさ》を敷いて対面しょう、とも考えたが、ああ、しばらく、この栗殻の峠には、謂《い》われぬ可懐《なつかし》い思出《おもいで》があったので、越中境《えっちゅうざかい》へ足を向けた。――
処を、牛の首に出会ったために、むしろその方が興味があったかも知れないと、そぞろに心の迷った端《はな》を、隠身寂滅《おんしんじゃくめつ》、地獄が消えた牛妖《ぎゅうよう》に、少なからず驚かされた。
正体が知れてからも、出遊の地に二心《ふたごころ》を持って、山霊を蔑《ないがしろ》にした罪を、慇懃《いんぎん》にこの神聖なる古戦場に対《むか》って、人知れず慚謝《ざんしゃ》したのであるる。
立向う山の茂《しげり》から、額を出して、ト差覗《さしのぞ》く状《さま》なる雲の峰の、いかにその裾《すそ》の広く且つ大なるべきかを想うにつけて、全体を鵜呑《うのみ》にしている谷の深さ、山の高さが推量《おしはか》られる。
辿《たど》るほどに、洋傘《こうもり》さした蟻《あり》のよう――蝉の声が四辺《あたり》に途絶えて、何の鳥かカラカラと啼《な》くのを聞くと、ちょっとその嘴《くちばし》にも、人間は胴中《どうなか》を横啣《よこぐわ》えにされそうであった。
谷が分れて、森が涼しい。
右手《めて》の谷の片隅に、前《さき》に見た牛の小家が、小さくなって、樹立《こだち》ありとも言わず、真白《まっしろ》に日が当る。
やがて、二|分《ぶ》が処|上《のぼ》った。
坂路に……草刈か、鎌は持たず。自然薯穿《じねんじょほり》か、鍬《くわ》も提げず。地柄《じがら》縞柄《しまがら》は分らぬが、いずれも手織らしい単放《ひとえ》を裙《すそ》短《みじか》に、草履|穿《ばき》で、日に背いたのは緩《ゆ
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