「その時、私は更《あらた》めて、二人の婦人にこう言いました。
(時が時、折が折なんですから、実は何にも言出しはしませんでしたが、その日、広土間の縁の出張《でば》りに一人腰を掛けて、力餅《ちからもち》を食べていた、鳥打帽を冠《かぶ》って、久留米の絣《かすり》を着た学生がありました。お心は着かなかったでしょうが、……それは私です。……
 そして、その時の絵のような美しさが、可懐《なつか》しさの余り、今度この山越《やまごえ》を思い立って参ったんです。)
 お先達、事実なんです。」
 と三造は言った。
「これを聞いて少《わか》い女《ひと》が、
(そして貴下が、私を御覧なさいましたのは、その時が初めてですか、)
(いいえ、)
 と私が直ぐに答えた。
(違うかどうか分りませんが、その以前に二度あります。……一度は金沢の藪《やぶ》の内と言う処――城の大手前と対《むか》い合った、土塀の裏を、鍵《かぎ》の手形《てなり》。名の通りで、竹藪の中を石垣に従《つ》いて曲る小路《こうじ》。家も何にもない処で、狐がどうの、狸がどうの、と沙汰《さた》をして誰も通らない路《みち》、何に誘われたか一人で歩行《ある》いた。……その時、曲角《まがりかど》で顔を見ました。春の真昼間《まっぴるま》、暖い霞のような白い路が、藪の下を一条《ひとすじ》に貫いた、二三間|前《さき》を、一人通った娘があります。衣服《きもの》は分らず、何の織物か知りませんが、帯は緋色《ひいろ》をしていたのを覚えている。そして結目《むすびめ》が腰へ少し長目でした。ふらふらとついて見送って行《ゆ》く内に、また曲角で、それなり分らなくなったんです。)
 ――二人は顔を見合せました。」

       三十五

「私はまた……
(もう一度は、その翌年、やっぱり春の、正午《ひる》少し後《さが》った頃、公園の見晴しで、花の中から町中《まちなか》の桜を視《なが》めていると、向うが山で、居る処が高台の、両方から、谷のような、一ヶ所空の寂しい士町《さむらいまち》と思う所の、物干《ものほし》の上にあがって、霞を眺めるらしい立姿の女が見えた。それがどうも同じ女らしい。ロハ台を立って、柳の下から乗り出して、熟《じっ》と瞻《みまも》る内に、花吹雪がはらはらとして、それっきり影も見えなくなる、と物干の在所《ありか》も町の見当も分らなくなってしまった。……が、忘
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