って、舞戻って、鳩尾《みずおち》をビクリと下って、膝をかけて畝《うね》る頃には、はじめ鞠《まり》ほどなのが、段々小さく、豆位になって、足の甲を蠢《うご》めいて、ふっと拇指《おやゆび》の爪から抜ける。その時分には、もう芥子粒《けしつぶ》だけもないのです、お綾さんの爪にも堪《たま》らず、消滅する。
 トはっと気を返して、恍惚《うっとり》目を開《あ》く。夢が覚めたように、起上って、取乱した態《なり》もそのまま、婦《おんな》同士、お綾の膝に乗掛《のりかか》って、頸《くび》に手を搦《から》みながら、切ない息の下で、
(済まないわね。)
 と言うのが、ほとんど例になっていたそうです。――お綾が、よく病人の気を知った事は、一日《あるひ》も痙攣が起って、人事不省なのを介抱していると、病人が、例に因って、
(来たよ。)
 と呻吟《うめ》く。
(……でしょうね、)
 と親類内の従兄《いとこ》とかで、これも関係のあった、――少年の名をお綾が云うと……
(ああ、青い幽霊、)
 と夢中で言った――処へひょっこり廊下から……脱いだ帽子を手に提げて、夏服の青いので生白《なましろ》い顔を出したのは、その少年で。出会頭《であいがしら》に聞かされたので、真赤《まっか》になって逃げたと言います。その癖お綾は一度も逢った事はないのだそうで。
 さあへ医師《いしゃ》は止《よ》しても、お綾は病人から手離せますまい。
 いつまで入院をしていても、ちっとも快方《いいほう》に向わないから、一旦《いったん》内へ引取って、静かに保養をしようという事になった時、貴婦人の母親は、涙でお綾の親達に頼んだんです。
 頼まれては否《いや》と言わぬ、職人|気質《かたぎ》で引受けたでしょう。
 途中の、不意の用心に、男が二人、母親と、女中と、今の二人の婦人《おんな》で、五台、人力車を聯《つら》ねて、倶利伽羅峠を越したのは、――ちょうど十年|前《ぜん》になる――
 同じ立場《たてば》で、車をがらがらと引込んで休んだのは、やっぱり、今残る、あの、一軒家。しかも車から出る、と痙攣《ひきつ》けて、大勢に抱え込まれて、お綾の膝に抱かれた処は。……
(先刻、貴下《あなた》が、怪《あやし》い姿で抱合っている処を蚊帳越に御覧なすった、母屋の、あの座敷です。)
 ッて貴婦人が言いましたっけ。
 お先達。」
 三造は酔えるがごとき対手《あいて》を呼んで
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