横縦にがやがやと人影が映って、さながら、以前、この立場《たてば》が繁昌《はんじょう》した、午飯頃《ひるめしごろ》の光景《ありさま》ではありませんか。
入乱れて皆腰を掛けてる。
私は構わず、その前を切って抜けようとしました。
大胆だと思いますか――何《なあに》、そうではない。度胸も信仰も有るのではありません、がすべてこういう場合に処する奥の手が私にある。それは、何です、剣術の先生は足が顫《ふる》えて立縮《たちすく》んだが、座頭の坊は琵琶《びわ》を背負《しょ》ったなり四這《よつんば》いになって木曾の桟《かけはし》をすらすら渡り越したという、それと一般《ひとつ》。
希代な事には、わざと胸に手を置いて寝て可恐《おそろし》い夢を平気で見ます。勿論夢と知りつつ慰みに試みるんです。が、夢にもしろ、いかにも堪《たま》らなくなると、やと叫んで刎起《はねお》きる、冷汗は浴《あび》るばかり、動悸《どうき》は波を立てていても、ちっとも身体《からだ》に別条はない。
これです!
いざとなれば刎起きよう、夢でなくって、こんな事があるべき筈《はず》のもんじゃない、と断念《あきら》めは附けましたが。
突懸《つっかか》り、端に居た奴《やつ》は、くたびれた麦藁帽《むぎわらぼう》を仰《のけ》ざまに被《かぶ》って、頸窪《ぼんのくぼ》へ摺《ず》り落ちそうに天井を睨《にら》んで、握拳《にぎりこぶし》をぬっと上げた、脚絆《きゃはん》がけの旅商人《たびあきんど》らしい風でしたが、大欠伸《おおあくび》をしているのか、と見ると、違った! 空を掴《つか》んで苦しんでるので、咽喉《のど》から垂々《たらたら》と血が流れる。
その隣座《となりざ》に、どたりと真俯向《まうつむ》けになった、百姓|体《てい》の親仁《おやじ》は、抜衣紋《ぬきえもん》の背中に、薬研形《やげんがた》の穴がある。
で、ウンウン呻吟《うめ》く。
少し離れて、青い洋服を着た少年の、二十ばかりで、学生風のが、頻《しき》りに紐《ひも》のようなものを持って腰の廻りを巻いてるから、帯でもするかと見ると、振《ぶ》ら下った腸《はらわた》で、切裂かれ臍《へそ》の下へ、押込もうとする、だくだく流れる血《あけ》の中で、一掴《ひとつかみ》、ずるりと詰めたが、ヒイッと悲鳴で仰向《あおむ》けに土間に転がり落ちると、その下になって、ぐしゃりと圧拉《ひしゃ》げたように
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