めき》。……
お先達、ここなんです。
二人で心配をしてやろうと言ったは、今だ。疾《はや》くその遁口《にげぐち》から母屋に抜けよう。が、あるいは三方から引包《ひッつつ》んで、誘《おび》き出す一方口の土間は、さながら穽穴《おとしあな》とも思ったけれども、ままよ、あの二人にならどうともされろ!で、浅茅生へドンと下りた、勿論|跣足《はだし》で。
峰も谷も、物凄《ものすご》い真夜中ですから、傍目《わきめ》も触《ふ》らないで土間へ辷《すべ》り込む。
ずッと遥《はるか》な、門《かど》へ近い処に、一間、煤《すす》けた障子に灯《あかり》が射《さ》す。
閨《ねや》は……あすこだ。
難有《ありがた》い、としっとり、びしょ濡れに夜露の染《し》んだ土間を、ぴたぴたと踏んで、もっとも向うの灯は届かぬ、手探りですよ。
やがて、その土間の広くなった処へ掛《かか》ると、朧気《おぼろげ》に、縁と障子が、こう、幻のように見えたも道理、外は七月十四日の夜《よ》の月。で、雨戸が外れたままです。
けれども峰を横倒しに戸口に挿込んだように、靄《もや》の蔓《はびこ》ったのが、頭《かしら》を出して、四辺《あたり》は一面に濛々《もうもう》として、霧の海を鴉《からす》が縫うように、処々、松杉の梢《こずえ》がぬっと顕《あらわ》れた。他《ほか》は、幅も底も測知《はかりし》られぬ、山の中を、時々すっと火の筋が閃《ひらめ》いて通る……角に松明《たいまつ》を括《くく》った牛かと思う、稲妻ではない、甲虫《かぶとむし》が月を浴びて飛ぶのか、土地神《とちのかみ》が蝋燭《ろうそく》点《つ》けて歩行《ある》くらしい。
見ても凄《すご》い、早やそこへ、と思って寝衣《ねまき》の襟を掻合《かきあわ》せると、その目当の閨《ねや》で、――確に女の――すすり泣きする声がしました。……ひそひそと泣いているんですね。」
三十一
「夜半に及んで、婦人の閨へ推参で、同じ憚《はばか》るにしても、黙って寝ていれば呼べもするし、笑声《わらいごえ》なら与《くみ》し易いが、泣いてる処じゃ、たとい何でも、迂濶《うかつ》に声も懸けられますまい。
何しろ、泣悲《なきかなし》むというは、一通りの事ではない。気にもなるし、案じられもする……また怪しくもあった。ですから、悪いが、密《そっ》と寄って、そこで障子の破目《やぶれめ》から――
そ
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