を前に置き、煤《すす》けた棚の上に古ぼけた麦酒《ビール》の瓶、心太《ところてん》の皿などを乱雑に並べたのを背後《うしろ》に背負い、柱に安煙草《やすたばこ》のびらを張り、天井に捨団扇《すてうちわ》をさして、ここまでさし入る日あたりに、眼鏡を掛けて継物をしている。外に姉さんも何《なんに》も居ない、盛《さかり》の頃は本家から、女中料理人を引率して新宿|停車場《ステエション》前の池田屋という飲食店が夫婦づれ乗込むので、独身《ひとりみ》の便《たより》ないお幾婆さんは、その縁続きのものとか、留守番を兼ねて後生のほどを行い澄《すま》すという趣。
 判事に浮世ばなしを促されたのを機《しお》にお幾はふと針の手を留めたが、返事より前《さき》に逸疾《いちはや》くその眼鏡を外した、進んで何か言いたいことでもあったと見える、別の吸子《きゅうす》に沸《たぎ》った湯をさして、盆に乗せるとそれを持って、前垂《まえだれ》の糸屑《いとくず》を払いさま、静《しずか》に壇を上って、客の前に跪《ひざまず》いて、
「お茶を入替えて参りました、召上りまし。」といいながら膝《ひざ》近く躙《にじ》り寄って差置いた。
 判事は欄干につい
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