十雀《しじゅうから》の囀《さえず》っている処《ところ》もあり、紺青《こんじょう》の巌《いわ》の根に、春は菫《すみれ》、秋は竜胆《りんどう》の咲く処《ところ》。山清水《やましみず》がしとしとと湧《わ》く径《こみち》が薬研《やげん》の底のようで、両側の篠笹《しのざさ》を跨《また》いで通るなど、ものの小半道《こはんみち》踏分《ふみわ》けて参りますと、其処《そこ》までが一峰《ひとみね》で。それから崕《がけ》になって、郡《ぐん》が違い、海の趣《おもむき》もかわるのでありますが、その崕《がけ》の上に、たとえて申さば、この御堂《みどう》と背中合わせに、山の尾へ凭《よ》っかかって、かれこれ大仏《だいぶつ》ぐらいな、石地蔵《いしじぞう》が無手《むず》と胡坐《あぐら》してござります。それがさ、石地蔵と申し伝えるばかり、よほどのあら刻みで、まず坊主形《ぼうずなり》の自然石《じねんせき》と言うても宜《よろ》しい。妙に御顔《おかお》の尖がった処が、拝むと凄《すご》うござってな。
 堂は形だけ残っておりますけれども、勿体《もったい》ないほど大破《たいは》いたして、密《そっ》と参っても床《ゆか》なぞずぶずぶと踏抜《ふみぬ》きますわ。屋根も柱も蜘蛛《くも》の巣のように狼藉《ろうぜき》として、これはまた境内《けいだい》へ足の入場《いれば》もなく、崕《がけ》へかけて倒れてな、でも建物があった跡じゃ、見霽《みはら》しの広場になっておりますから、これから山越《やまごし》をなさる方《かた》が、うっかり其処《そこ》へござって、唐突《だしぬけ》の山仏《やまほとけ》に胆《きも》を潰《つぶ》すと申します。
 其処《そこ》を山続きの留《とま》りにして、向うへ降りる路《みち》は、またこの石段のようなものではありません。わずかの間も九十九折《つづらおり》の坂道、嶮《けわし》い上に、※[#「(來+攵)/心」、第4水準2−12−72]《なまじっ》か石を入れたあとのあるだけに、爪立《つまだ》って飛々《とびとび》に這《は》い下《お》りなければなりませんが、この坂の両方に、五百体千体と申す数ではない。それはそれは数え切れぬくらい、いずれも一尺、一尺五寸、御丈《おんたけ》三尺というのはない、小さな石仏《いしぼとけ》がすくすく並んで、最も長い年月《ねんげつ》、路傍《みちばた》へ転げたのも、倒れたのもあったでありましょうが、さすがに跨《また》ぐものはないと見えます。もたれなりにも櫛《くし》の歯のように揃《そろ》ってあります。
 これについて、何かいわれのございましたことか、一々《いちいち》女の名と、亥年《いどし》、午年《うまどし》、幾歳、幾歳、年齢とが彫《ほ》りつけてございましてな、何時《いつ》の世にか、諸国の婦人《おんな》たちが、挙《こぞ》って、心願《しんがん》を籠《こ》めたものでございましょう。ところで、雨露《あめつゆ》に黒髪《くろかみ》は霜《しも》と消え、袖《そで》裾《すそ》も苔《こけ》と変って、影ばかり残ったが、お面《かお》の細く尖《とが》った処《ところ》、以前は女体《にょたい》であったろうなどという、いや女体の地蔵というはありませんが、さてそう聞くと、なお気味が悪いではございませんか。
 ええ、つかぬことを申したようでありますが、客人の話について、些《ち》と考えました事がござる。客人は、それ、その山路《やまみち》を行《ゆ》かれたので――この観音《かんおん》の御堂《みどう》を離れて、」
「なるほど、その何んとも知れない、石像の処へ、」
 と胸を伏せて顔を見る。
「いやいや、其処《そこ》までではありません。唯《ただ》その山路へ、堂の左の、巌間《いわま》を抜けて出たものでございます。
 トいうのが、手に取るように、囃《はやし》の音が聞えたからで。
 直《じ》きその谷間《たにあい》の村あたりで、騒いでいるように、トントンと山腹へ響いたと申すのでありますから、ちょっと裏山へ廻りさえすれば、足許に瞰下《みお》ろされますような勘定《かんじょう》であったので。客人は、高い処《ところ》から見物をなさる気でござった。
 入り口《くち》はまだ月のたよりがございます。樹の下を、草を分けて参りますと、処々《ところどころ》窓のように山が切れて、其処《そこ》から、松葉掻《まつばかき》、枝拾い、じねんじょ穿《ほり》が谷へさして通行する、下の村へ続いた路《みち》のある処が、あっちこっちにいくらもございます。
 それへ出ると、何処《どこ》でも広々と見えますので、最初左の浜庇《はまびさし》、今度は右の茅《かや》の屋根と、二、三|箇処《がしょ》、その切目《きれめ》へ出て、覗《のぞ》いたが、何処《どこ》にも、祭礼《まつり》らしい処はない。海は明《あかる》く、谷は煙《けぶ》って。」

       二十一

「けれども、その囃子《はやし》の音は、草《くさ》一叢《ひとむら》、樹立《こだち》一畝《ひとうね》出さえすれば、直《じ》き見えそうに聞えますので。二足《ふたあし》が三足《みあし》、五足《いつあし》が十足《とあし》になって段々深く入るほど――此処《ここ》まで来たのに見ないで帰るも残惜《のこりおし》い気もする上に、何んだか、旧《もと》へ帰るより、前へ出る方が路《みち》も明《あかる》いかと思われて、些《ち》と急足《いそぎあし》になると、路も大分《だいぶん》上《のぼ》りになって、ぐいと伸上《のびあが》るように、思い切って真暗《まっくら》な中を、草を※[#「てへん+劣」、第3水準1−84−77]《むし》って、身を退《ひ》いて高い処《ところ》へ。ぼんやり薄明るく、地ならしがしてあって、心持《こころもち》、墓地の縄張《なわばり》の中ででもあるような、平《たいら》な丘の上へ出ると、月は曇ってしまったか、それとも海へ落ちたかという、一方は今来た路《みち》で向うは崕《がけ》、谷か、それとも浜辺かは、判然せぬが、底《そこ》一面《いちめん》に靄《もや》がかかって、その靄に、ぼうと遠方の火事のような色が映《うつ》っていて、篝《かがり》でも焼《た》いているかと、底《そこ》澄《す》んで赤く見える、その辺《あたり》に、太鼓《たいこ》が聞える、笛も吹く、ワアという人声がする。
 如何《いか》にも賑《にぎや》かそうだが、さて何処《どこ》とも分らぬ。客人は、その朦朧《もうろう》とした頂《いただき》に立って、境《さかい》は接しても、美濃《みの》近江《おうみ》、人情も風俗も皆違う寝物語の里の祭礼《まつり》を、此処《ここ》で見るかと思われた、と申します。
 その上、宵宮《よみや》にしては些《ち》と賑《にぎや》か過ぎる、大方|本祭《ほんまつり》の夜《よ》? それで人の出盛《でさか》りが通り過ぎた、よほど夜更《よふけ》らしい景色に視《なが》めて、しばらく茫然《ぼうぜん》としてござったそうな。
 ト何んとなく、心《こころ》寂《さび》しい。路《みち》もよほど歩行《ある》いたような気がするので、うっとり草臥《くたび》れて、もう帰ろうかと思う時、その火気《かき》を包んだ靄《もや》が、こう風にでも動くかと覚えて、谷底から上へ、裾《すそ》あがりに次第に色が濃《こ》うなって、向うの山かけて映る工合《ぐあい》が直《じ》き目の前で燃している景色――最《もっと》も靄《もや》に包まれながら――
 そこで、何か見極《みきわ》めたい気もして、その平地《ひらち》を真直《まっすぐ》に行《ゆ》くと、まず、それ、山の腹が覗《のぞ》かれましたわ。
 これはしたり! 祭礼《まつり》は谷間《たにま》の里からかけて、此処《ここ》がそのとまりらしい。見た処《ところ》で、薄くなって段々に下へ灯影《ひかげ》が濃くなって次第に賑《にぎや》かになっています。
 やはり同一《おんなじ》ような平《たいら》な土で、客人のござる丘と、向うの丘との中に箕《み》の形になった場所。
 爪尖《つまさき》も辷《すべ》らず、静《しずか》に安々《やすやす》と下りられた。
 ところが、箕《み》の形の、一方はそれ祭礼《まつり》に続く谷の路《みち》でございましょう。その谷の方に寄った畳なら八畳ばかり、油が広く染《にじ》んだ体《てい》に、草がすっぺりと禿《は》げました。」
 といいかけて、出家は瀬戸物《せともの》の火鉢を、縁《えん》の方へ少しずらして、俯向《うつむ》いて手で畳を仕切った。
「これだけな、赤地《あかじ》の出た上へ、何かこうぼんやり踞《うずくま》ったものがある。」
 ト足を崩してとかくして膝に手を置いた。
 思わず、外《と》の方《かた》を見た散策子は、雲のやや軒端《のきば》に近く迫るのを知った。
「手を上げて招いたと言います――ゆったりと――行《ゆ》くともなしに前へ出て、それでも間《あいだ》二、三|間《げん》隔《へだた》って立停《たちど》まって、見ると、その踞《うずくま》ったものは、顔も上げないで俯向《うつむ》いたまま、股引《ももひき》ようのものを穿《は》いている、草色《くさいろ》の太い胡坐《あぐら》かいた膝の脇に、差置《さしお》いた、拍子木《ひょうしぎ》を取って、カチカチと鳴らしたそうで、その音が何者か歯を噛合《かみあ》わせるように響いたと言います。
 そうすると、」
「はあ、はあ、」
「薄汚れた帆木綿《ほもめん》めいた破穴《やれあな》だらけの幕が開《あ》いたて、」
「幕が、」
「さよう。向う山の腹へ引いてあったが、やはり靄《もや》に見えていたので、そのものの手に、綱が引いてあったと見えます、踞《うずくま》ったままで立ちもせんので。
 窪《くぼ》んだ浅い横穴じゃ。大きかったといいますよ。正面に幅一|間《けん》ばかり、尤《もっと》も、この辺にはちょいちょいそういうのを見懸けます。背戸《せど》に近い百姓屋などは、漬物桶《つけものおけ》を置いたり、青物を活《い》けて重宝《ちょうほう》がる。で、幕を開けたからにはそれが舞台で。」

       二十二

「なるほど、そう思えば、舞台の前に、木の葉がばらばらと散《ちら》ばった中へ交《まじ》って、投銭《なげせん》が飛んでいたらしく見えたそうでございます。
 幕が開《あ》いた――と、まあ、言う体《てい》でありますが、さて唯《ただ》浅い、扁《ひらった》い、窪《くぼ》みだけで。何んの飾《かざり》つけも、道具だてもあるのではござらぬ。何か、身体《からだ》もぞくぞくして、余り見ていたくもなかったそうだが、自分を見懸けて、はじめたものを、他に誰一人いるではなし、今更《いまさら》帰るわけにもなりませんような羽目になったとか言って、懐中《かいちゅう》の紙入《かみいれ》に手を懸けながら、茫乎《ぼんやり》見ていたと申します。
 また、陰気な、湿《しめ》っぽい音《おん》で、コツコツと拍子木《ひょうしぎ》を打違《ぶっちが》える。
 やはりそのものの手から、ずうと糸が繋《つな》がっていたものらしい。舞台の左右、山の腹へ斜めにかかった、一幅《ひとはば》の白い靄《もや》が同じく幕でございました。むらむらと両方から舞台際《ぶたいぎわ》へ引寄せられると、煙が渦《うずま》くように畳まれたと言います。
 不細工ながら、窓のように、箱のように、黒い横穴が小さく一ツずつ三十五十と一側並《ひとかわなら》べに仕切ってあって、その中に、ずらりと婦人《おんな》が並んでいました。
 坐ったのもあり、立ったのもあり、片膝《かたひざ》立てたじだらくな姿もある。緋《ひ》の長襦袢《ながじゅばん》ばかりのもある。頬のあたりに血のたれているのもある。縛られているのもある、一目《ひとめ》見たが、それだけで、遠くの方は、小さくなって、幽《かすか》になって、唯《ただ》顔ばかり谷間《たにま》に白百合《しろゆり》の咲いたよう。
 慄然《ぞっ》として、遁《に》げもならない処《ところ》へ、またコンコンと拍子木《ひょうしぎ》が鳴る。
 すると貴下《あなた》、谷の方へ続いた、その何番目かの仕切の中から、ふらりと外へ出て、一人、小さな婦人《おんな》の姿が、音もなく歩行《ある》いて来て、やがてその舞台へ上《あが》ったでございますが、其処《そこ》へ来ると、並《なみ》の大き
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