待ちなさい、なるほど、そうするとその夫人と言うは、どんな身分の人なんですか。」
出家はあらためて、打頷《うちうなず》き、かつ咳《しわぶき》して、
「そこでございます、御新姐《ごしんぞ》はな、年紀《とし》は、さて、誰《たれ》が目にも大略《たいりゃく》は分ります、先ず二十三、四、それとも五、六かと言う処《ところ》で、」
「それで三人の母様《おっかさん》? 十二、三のが頭《かしら》ですかい。」
「否《いいえ》、どれも実子《じっし》ではないでございます。」
「ままッ児《こ》ですか。」
「三人とも先妻が産みました。この先妻についても、まず、一《ひと》くさりのお話はあるでございますが、それは余事《よじ》ゆえに申さずとも宜《よろ》しかろ。
二、三年前に、今のを迎えたのでありますが、此処《ここ》でありますよ。
何処《どこ》の生れだか、育ちなのか、誰の娘だか、妹だか、皆目《かいもく》分らんでございます。貸して、かたに取ったか、出して買うようにしたか。落魄《おちぶ》れた華族のお姫様じゃと言うのもあれば、分散した大所《おおどこ》の娘御《むすめご》だと申すのもあります。そうかと思うと、箔《はく》のついた芸娼妓《くろうと》に違いないと申すもあるし、豪《えら》いのは高等|淫売《いんばい》の上《あが》りだろうなどと、甚《はなはだ》しい沙汰《さた》をするのがござって、丁《とん》と底知れずの池に棲《す》む、ぬし[#「ぬし」に傍点]と言うもののように、素性《すじょう》が分らず、ついぞ知ったものもない様子。」
十六
「何にいたせ、私《わたくし》なぞが通りすがりに見懸けましても、何んとも当りがつかぬでございます。勿論また、坊主に鑑定の出来ようはずはなけれどもな。その眉のかかり、目つき、愛嬌《あいきょう》があると申すではない。口許《くちもと》なども凛《りん》として、世辞《せじ》を一つ言うようには思われぬが、唯《ただ》何んとなく賢げに、恋も無常も知り抜いた風《ふう》に見える。身体《からだ》つきにも顔つきにも、情《なさけ》が滴《したた》ると言った状《さま》じゃ。
恋い慕うものならば、馬士《うまかた》でも船頭でも、われら坊主でも、無下《むげ》に振切《ふりき》って邪険《じゃけん》にはしそうもない、仮令《たとえ》恋はかなえぬまでも、然《しか》るべき返歌はありそうな。帯の結目《むすびめ》、袂《たもと》の端《はし》、何処《どこ》へちょっと障《さわ》っても、情《なさけ》の露は男の骨を溶解《とろ》かさずと言うことなし、と申す風情《ふぜい》。
されば、気高いと申しても、天人神女《てんにんしんにょ》の俤《おもかげ》ではのうて、姫路《ひめじ》のお天守《てんしゅ》に緋《ひ》の袴《はかま》で燈台の下に何やら書を繙《ひもど》く、それ露が滴《したた》るように婀娜《あで》なと言うて、水道の水で洗い髪ではござらぬ。人跡《じんせき》絶えた山中の温泉に、唯《ただ》一人雪の膚《はだえ》を泳がせて、丈《たけ》に余る黒髪を絞るとかの、それに肖《に》まして。
慕わせるより、懐《なつか》しがらせるより、一目見た男を魅《み》する、力《ちから》広大《こうだい》。少《すくな》からず、地獄、極楽、娑婆《しゃば》も身に附絡《つきまと》うていそうな婦人《おんな》、従《したご》うて、罪も報《むくい》も浅からぬげに見えるでございます。
ところへ、迷うた人の事なれば、浅黄《あさぎ》の帯に緋《ひ》の扱帯《しごき》が、牛頭《ごず》馬頭《めず》で逢魔時《おうまがとき》の浪打際《なみうちぎわ》へ引立《ひきた》ててでも行《ゆ》くように思われたのでありましょう――私《わたくし》どもの客人が――そういう心持《こころもち》で御覧なさればこそ、その後《ご》は玉脇《たまわき》の邸《やしき》の前を通《とおり》がかり。……
浜へ行《ゆ》く町から、横に折れて、背戸口《せどぐち》を流れる小川の方へ引廻《ひきまわ》した蘆垣《あしがき》の蔭《かげ》から、松林の幹と幹とのなかへ、襟《えり》から肩のあたり、くっきりとした耳許《みみもと》が際立《きわだ》って、帯も裾《すそ》も見えないのが、浮出《うきだ》したように真中へあらわれて、後前《あとさき》に、これも肩から上ばかり、爾時《そのとき》は男が三人、一《ひと》ならびに松の葉とすれすれに、しばらく桔梗《ききょう》刈萱《かるかや》が靡《なび》くように見えて、段々《だんだん》低くなって隠れたのを、何か、自分との事のために、離座敷《はなれざしき》か、座敷牢《ざしきろう》へでも、送られて行《ゆ》くように思われた、後前《あとさき》を引挟《ひっぱさ》んだ三人の漢《おとこ》の首の、兇悪なのが、確《たしか》にその意味を語っていたわ。もうこれきり、未来まで逢《あ》えなかろうかとも思われる、と無理なことを言うのであります。
さ、これもじゃ、玉脇の家の客人だち、主人まじりに、御新姐《ごしんぞ》が、庭の築山《つきやま》を遊んだと思えば、それまででありましょうに。
とうとう表通りだけでは、気が済まなくなったと見えて、前《まえ》申した、その背戸口《せどぐち》、搦手《からめて》のな、川を一つ隔てた小松原の奥深く入《い》り込んで、うろつくようになったそうで。
玉脇の持地《もちじ》じゃありますが、この松原は、野開《のびら》きにいたしてござる。中には汐入《しおいり》の、ちょっと大きな池もあります。一面に青草《あおぐさ》で、これに松の翠《みどり》がかさなって、唯今頃《ただいまごろ》は菫《すみれ》、夏は常夏《とこなつ》、秋は萩《はぎ》、真個《まこと》に幽翠《ゆうすい》な処《ところ》、些《ち》と行らしって御覧《ごろう》じろ。」
「薄暗い処ですか、」
「藪《やぶ》のようではありません。真蒼《まっさお》な処であります。本でも御覧なさりながらお歩行《ある》きには、至極|宜《よろ》しいので、」
「蛇がいましょう、」
と唐突《だしぬけ》に尋ねた。
「お嫌いか。」
「何とも、どうも、」
「否《いえ》、何の因果か、あのくらい世の中に嫌われるものも少のうござる。
しかし、気をつけて見ると、あれでもしおらしいもので、路端《みちばた》などを我《われ》は顔《がお》で伸《の》してる処《ところ》を、人が参って、熟《じっ》と視《なが》めて御覧なさい。見返しますがな、極りが悪そうに鎌首《かまくび》を垂れて、向うむきに羞含《はにか》みますよ。憎くないもので、ははははは、やはり心がありますよ。」
「心があられてはなお困るじゃありませんか。」
「否《いえ》、塩気を嫌うと見えまして、その池のまわりには些《ちっ》ともおりません。邸《やしき》にはこの頃じゃ、その魅《み》するような御新姐《ごしんぞ》も留主《るす》なり、穴《あな》はすかすかと真黒《まっくろ》に、足許に蜂《はち》の巣になっておりましても、蟹《かに》の住居《すまい》、落ちるような憂慮《きづかい》もありません。」
十七
「客人は、その穴さえ、白髑髏《されこうべ》の目とも見えたでありましょう。
池をまわって、川に臨んだ、玉脇の家造《やづくり》を、何か、御新姐《ごしんぞ》のためには牢獄ででもあるような考えでござるから。
さて、潮《しお》のさし引《ひき》ばかりで、流れるのではありません、どんより鼠色《ねずみいろ》に淀《よど》んだ岸に、浮きもせず、沈みもやらず、末始終《すえしじゅう》は砕けて鯉《こい》鮒《ふな》にもなりそうに、何時頃《いつごろ》のか五、六本、丸太が浸《ひた》っているのを見ると、ああ、切組《きりく》めば船になる。繋合《つなぎあ》わせば筏《いかだ》になる。しかるに、綱も棹《さお》もない、恋の淵《ふち》はこれで渡らねばならないものか。
生身《いきみ》では渡られない。霊魂《たましい》だけなら乗れようものを。あの、樹立《こだち》に包まれた木戸《きど》の中には、その人が、と足を爪立《つまだ》ったりなんぞして。
蝶《ちょう》の目からも、余りふわふわして見えたでござろう。小松の中をふらつく自分も、何んだかその、肩から上ばかりに、裾《すそ》も足もなくなった心地、日中《ひなか》の妙《みょう》な蝙蝠《こうもり》じゃて。
懐中《かいちゅう》から本を出して、
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蝋光高懸照紗空《ろうこうたかくかかりしゃをてらしてむなし》、 花房夜搗紅守宮《かぼうよるつくこうしゅきゅう》、
|象口吹香※[#「搨のつくり+毛」、62−12]※[#「登+毛」、62−12」暖《ぞうこうこうをふいてとうとうあたたかに》、 七星挂城聞漏板《しちせいしろにかかってろうばんをきく》、
寒入罘※[#「よんがしら/思」、62−13]殿影昏《さむさふしにいってでんえいくらく》、 彩鸞簾額著霜痕《さいらんれんがくそうこんをつく》、
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ええ、何んでも此処《ここ》は、蛄《けら》が鉤闌《こうらん》の下に月に鳴く、魏《ぎ》の文帝《ぶんてい》に寵《ちょう》せられた甄夫人《けんふじん》が、後《のち》におとろえて幽閉されたと言うので、鎖阿甄《あけんをとざす》。とあって、それから、
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夢入家門上沙渚《ゆめにかもんにいってしゃしょにのぼる》、 天河落処長洲路《てんがおつるところちょうしゅうのみち》、
願君光明如太陽《ねがわくばきみこうみょうたいようのごとくなれ》、
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妾《しょう》を放《はな》て、そうすれば、魚《うお》に騎《き》し、波を※[#「てへん+敝」、第4水準2−13−46]《ひら》いて去らん、というのを微吟《びぎん》して、思わず、襟《えり》にはらはらと涙が落ちる。目を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》って、その水中の木材よ、いで、浮べ、鰭《ひれ》ふって木戸に迎えよ、と睨《にら》むばかりに瞻《みつ》めたのでござるそうな。些《ち》と尋常事《ただごと》でありませんな。
詩は唐詩選《とうしせん》にでもありましょうか。」
「どうですか。ええ、何んですって――夢に家門《かもん》に入って沙渚《しゃしょ》に上《のぼ》る。魂《たましい》が沙漠《さばく》をさまよって歩行《ある》くようね、天河落処長洲路《てんがおつるところちょうしゅうのみち》、あわれじゃありませんか。
それを聞くと、私《わたし》まで何んだか、その婦人が、幽閉されているように思います。
それからどうしましたか。」
「どうと申して、段々|頤《おとがい》がこけて、日に増し目が窪《くぼ》んで、顔の色がいよいよ悪い。
或時《あるとき》、大奮発じゃ、と言うて、停車場《ていしゃば》前の床屋へ、顔を剃《そ》りに行《ゆ》かれました。その時だったと申す事で。
頭を洗うし、久しぶりで、些《ちと》心持《こころもち》も爽《さわやか》になって、ふらりと出ると、田舎《いなか》には荒物屋《あらものや》が多いでございます、紙、煙草《たばこ》、蚊遣香《かやりこう》、勝手道具、何んでも屋と言った店で。床店《とこみせ》の筋向《すじむこ》うが、やはりその荒物店《あらものみせ》であります処《ところ》、戸外《おもて》へは水を打って、軒《のき》の提灯《ちょうちん》にはまだ火を点《とも》さぬ、溝石《みぞいし》から往来へ縁台《えんだい》を跨《また》がせて、差向《さしむか》いに将棊《しょうぎ》を行《や》っています。端《はし》の歩《ふ》が附木《つけぎ》、お定《さだま》りの奴で。
用なしの身体《からだ》ゆえ、客人が其処《そこ》へ寄って、路傍《みちばた》に立って、両方ともやたらに飛車《ひしゃ》角《かく》の取替《とりか》えこ、ころりころり差違《さしちが》えるごとに、ほい、ほい、と言う勇ましい懸声《かけごえ》で。おまけに一人の親仁《おやじ》なぞは、媽々衆《かかしゅう》が行水《ぎょうずい》の間、引渡《ひきわた》されたものと見えて、小児《こども》を一人|胡坐《あぐら》の上へ抱いて、雁首《がんくび》を俯向《うつむ》けに銜《くわ》え煙管《ぎせる》。
で銜《くわ》えたまんま、待てよ、どっこい、と言うたびに、煙管《
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