出ましょうかね。)
爾晩《そのばん》は貴下《あなた》、唯《ただ》それだけの事で。
翌日また散歩に出て、同じ時分に庵室《あんじつ》へ帰って見えましたから、私《わたくし》が串戯《じょうだん》に、
(雪舟の筆は如何《いかが》でござった。)
(今日は曇った所為《せい》か見えませんでした。)
それから二、三日|経《た》って、
(まだお天気が直りませんな。些《ち》と涼しすぎるくらい、御歩行《おひろい》には宜《よろ》しいが、やはり雲がくれでござったか。)
(否《いや》、源氏《げんじ》の題に、小松橋《こまつばし》というのはありませんが、今日はあの橋の上で、)
(それは、おめでたい。)
などと笑いまする。
(まるで人違いをしたように粋《いき》でした。私《わたし》がこれから橋を渡ろうという時、向うの袂《たもと》へ、十二、三を頭《かしら》に、十歳《とお》ぐらいのと、七八歳《ななやッつ》ばかりのと、男の児《こ》を三人連れて、その中の小さいのの肩を片手で敲《たた》きながら、上から覗《のぞ》き込むようにして、莞爾《にっこり》して橋の上へかかって来ます。
どんな婦人《おんな》でも羨《うらやま》しがりそうな、すなおな、房《ふっさ》りした花月巻《かげつまき》で、薄《うす》お納戸地《なんどじ》に、ちらちらと膚《はだ》の透《す》いたような、何んの中形《ちゅうがた》だか浴衣《ゆかた》がけで、それで、きちんとした衣紋附《えもんつき》。
絽《ろ》でしょう、空色と白とを打合わせの、模様はちょっと分らなかったが、お太鼓《たいこ》に結んだ、白い方が、腰帯に当って水無月《みなづき》の雪を抱《だ》いたようで、見る目に、ぞッとして擦《す》れ違う時、その人は、忘れた形《なり》に手を垂れた、その両手は力なさそうだったが、幽《かすか》にぶるぶると肩が揺れたようでした、傍《そば》を通った男の気《け》に襲われたものでしょう。
通《とお》り縋《すが》ると、どうしたのか、我を忘れたように、私《わたし》は、あの、低い欄干《らんかん》へ、腰をかけてしまったんです。抜けたのだなぞと言っては不可《いけ》ません。下は川ですから、あれだけの流れでも、落《おっこ》ちようもんならそれっきりです――淵《ふち》や瀬でないだけに、救助船《たすけぶね》とも喚《わめ》かれず、また叫んだ処《ところ》で、人は串戯《じょうだん》だと思って、笑って見殺しにするでしょう、泳《およぎ》を知らないから、)
と言って苦笑《にがわらい》をしなさったっけ……それが真実《まこと》になったのでございます。
どうしたことか、この恋煩《こいわずらい》に限っては、傍《はた》のものは、あはあは、笑って見殺しにいたします。
私《わたくし》はじめ串戯《じょうだん》半分、ひやかしかたがた、今日《こんにち》は例のは如何《いかが》で、などと申したでございます。
これは、貴下《あなた》でもさようでありましょう。」
されば何んと答えよう、喫《の》んでた煙草《たばこ》の灰をはたいて、
「ですがな……どうも、これだけは真面目《まじめ》に介抱《かいほう》は出来かねます。娘が煩《わずら》うのだと、乳母《うば》が始末をする仕来《しきた》りになっておりますがね、男のは困りますな。
そんな時、その川で沙魚《はぜ》でも釣っていたかったですね。」
「ははは、これはおかしい。」
と出家は興《きょう》ありげにハタと手を打つ。
十四
「これはおかしい、釣《つり》といえば丁《ちょう》どその時、向う詰《づめ》の岸に踞《しゃが》んで、ト釣っていたものがあったでござる。橋詰《はしづめ》の小店《こみせ》、荒物を商《あきな》う家の亭主で、身体《からだ》の痩《や》せて引緊《ひっしま》ったには似ない、褌《ふんどし》の緩《ゆる》い男で、因果《いんが》とのべつ釣をして、はだけていましょう、真《まこと》にあぶなッかしい形でな。
渾名《あだな》を一厘土器《いちもんかわらけ》と申すでござる。天窓《あたま》の真中の兀工合《はげぐあい》が、宛然《さながら》ですて――川端の一厘土器《いちもんかわらけ》――これが爾時《そのとき》も釣っていました。
庵室《あんじつ》の客人が、唯今《ただいま》申す欄干《らんかん》に腰を掛けて、おくれ毛越《げごし》にはらはらと靡《なび》いて通る、雪のような襟脚《えりあし》を見送ると、今、小橋《こばし》を渡った処《ところ》で、中の十歳《とお》位のがじゃれて、その腰へ抱《だ》き着いたので、白魚《しらお》という指を反《そ》らして、軽くその小児《こども》の背中を打った時だったと申します。
(お坊《ぼっ》ちゃま、お坊ちゃま、)
と大声で呼び懸けて、
(手巾《ハンケチ》が落ちました、)と知らせたそうでありますが、件《くだん》の土器殿《かわらけどの》も、餌《えさ》は振舞《ふるま》う気で、粋《いき》な後姿を見送っていたものと見えますよ。
(やあ、)と言って、十二、三の一番上の児《こ》が、駈けて返って、橋の上へ落して行った白い手巾《ハンケチ》を拾ったのを、懐中《ふところ》へ突込《つッこ》んで、黙ってまた飛んで行ったそうで。小児《こども》だから、辞儀《じぎ》も挨拶《あいさつ》もないでございます。
御新姐《ごしんぞ》が、礼心《れいごころ》で顔だけ振向いて、肩へ、頤《おとがい》をつけるように、唇を少し曲げて、その涼《すずし》い目で、熟《じっ》とこちらを見返ったのが取違えたものらしい。私《わたくし》が許《とこ》の客人と、ぴったり出会ったでありましょう。
引込《ひきこ》まれて、はッと礼を返したが、それッきり。御新姐《ごしんぞ》の方は見られなくって、傍《わき》を向くと貴下《あなた》、一厘土器《いちもんかわらけ》が怪訝《けげん》な顔色《かおつき》。
いやもう、しっとり冷汗《ひやあせ》を掻いたと言う事、――こりゃなるほど。極《きまり》がよくない。
局外《はた》のものが何んの気もなしに考えれば、愚にもつかぬ事なれど、色気があって御覧《ごろう》じろ。第一、野良声《のらごえ》の調子ッぱずれの可笑《おかし》い処《ところ》へ、自分主人でもない余所《よそ》の小児《こども》を、坊やとも、あの児《こ》とも言うにこそ、へつらいがましい、お坊ちゃまは不見識の行止《ゆきどま》り、申さば器量《きりょう》を下げた話。
今一方《いまいっぽう》からは、右の土器殿《かわらけどの》にも小恥《こっぱず》かしい次第でな。他人のしんせつで手柄をしたような、変な羽目になったので。
御本人、そうとも口へ出して言われませなんだが、それから何んとなく鬱《ふさ》ぎ込むのが、傍目《よそめ》にも見えたであります。
四、五日、引籠《ひきこも》ってござったほどで。
後《のち》に、何も彼《か》も打明けて私《わたくし》に言いなさった時の話では、しかしまたその間違《まちがい》が縁《えん》になって、今度出会った時は、何んとなく両方で挨拶《あいさつ》でもするようになりはせまいか。そうすれば、どんなにか嬉《うれ》しかろう、本望《ほんもう》じゃ、と思われたそうな。迷いと申すはおそろしい、情《なさけ》ないものでござる。世間|大概《たいがい》の馬鹿も、これほどなことはないでございます。
三度目には御本人、」
「また出会ったんですかい。」
と聞くものも待ち構える。
「今度は反対に、浜の方から帰って来るのと、浜へ出ようとする御新姐《ごしんぞ》と、例の出口の処で逢ったと言います。
大分もう薄暗くなっていましたそうで……土用《どよう》あけからは、目に立って日が詰《つま》ります処《ところ》へ、一度は一度と、散歩のお帰りが遅くなって、蚊遣《かや》りでも我慢が出来ず、私《わたくし》が此処《ここ》へ蚊帳《かや》を釣って潜込《もぐりこ》んでから、帰って見えて、晩飯《ばんめし》ももう、なぞと言われるさえ折々の事。
爾時《そのとき》も、早や黄昏《たそがれ》の、とある、人顔《ひとがお》、朧《おぼろ》ながら月が出たように、見違えないその人と、思うと、男が五人、中に主人もいたでありましょう。婦人《おんな》は唯《ただ》御新姐《ごしんぞ》一人、それを取巻く如くにして、どやどやと些《ち》と急足《いそぎあし》で、浪打際《なみうちぎわ》の方へ通ったが、その人数《にんず》じゃ、空頼《そらだの》めの、余所《よそ》ながら目礼|処《どころ》の騒ぎかい、貴下《あなた》、その五人の男というのが。」
十五
「眉の太い、怒《いか》り鼻《ばな》のがあり、額《ひたい》の広い、顎《あご》の尖《とが》った、下目《しため》で睨《にら》むようなのがあり、仰向《あおむ》けざまになって、頬髯《ほおひげ》の中へ、煙も出さず葉巻を突込《つッこ》んでいるのがある。くるりと尻を引捲《ひんまく》って、扇子《せんす》で叩いたものもある。どれも浴衣《ゆかた》がけの下司《げす》は可《い》いが、その中に浅黄《あさぎ》の兵児帯《へこおび》、結目《むすびめ》をぶらりと二尺ぐらい、こぶらの辺《あたり》までぶら下げたのと、緋縮緬《ひぢりめん》の扱帯《しごき》をぐるぐる巻きに胸高《むなだか》は沙汰《さた》の限《かぎり》。前のは御自分ものであろうが、扱帯《しごき》の先生は、酒の上で、小間使《こまづかい》のを分捕《ぶんどり》の次第らしい。
これが、不思議に客人の気を悪くして、入相《いりあい》の浪も物凄《ものすご》くなりかけた折からなり、あの、赤鬼《あかおに》青鬼《あおおに》なるものが、かよわい人を冥土《めいど》へ引立《ひきた》てて行《ゆ》くようで、思いなしか、引挟《ひきはさ》まれた御新姐《ごしんぞ》は、何んとなく物寂《ものさび》しい、快《こころよ》からぬ、滅入《めい》った容子《ようす》に見えて、ものあわれに、命がけにでも其奴《そいつ》らの中から救って遣《や》りたい感じが起った。家庭の様子もほぼ知れたようで、気が揉《も》める、と言われたのでありますが、貴下《あなた》、これは無理じゃて。
地獄の絵に、天女が天降《あまくだ》った処《ところ》を描いてあって御覧なさい。餓鬼《がき》が救われるようで尊《とうと》かろ。
蛇が、つかわしめじゃと申すのを聞いて、弁財天《べんざいてん》を、ああ、お気の毒な、さぞお気味が悪かろうと思うものはありますまいに。迷いじゃね。」
散策子はここに少しく腕組みした。
「しかし何ですよ、女は、自分の惚《ほ》れた男が、別嬪《べっぴん》の女房を持ってると、嫉妬《やく》らしいようですがね。男は反対です、」
と聊《いささ》か論ずる口吻《くちぶり》。
「ははあ、」
「男はそうでない。惚れてる婦人《おんな》が、小野小町花《おののこまちのはな》、大江千里月《おおえのちさとのつき》という、対句《ついく》通りになると安心します。
唯今《ただいま》の、その浅黄《あさぎ》の兵児帯《へこおび》、緋縮緬《ひぢりめん》の扱帯《しごき》と来ると、些《ち》と考えねばならなくなる。耶蘇教《やそきょう》の信者の女房が、主《しゅ》キリストと抱かれて寝た夢を見たと言うのを聞いた時の心地《こころもち》と、回々教《フイフイきょう》の魔神《ましん》になぐさまれた夢を見たと言うのを聞いた時の心地《こころもち》とは、きっとそれは違いましょう。
どっち路《みち》、嬉《うれし》くない事は知れていますがね、前のは、先《ま》ず先ずと我慢が出来る、後《あと》のは、堪忍《かんにん》がなりますまい。
まあ、そんな事は措《お》いて、何んだってまた、そう言う不愉快な人間ばかりがその夫人を取巻いているんでしょう。」
「そこは、玉脇《たまわき》がそれ鍬《くわ》の柄《つか》を杖《つえ》に支《つ》いて、ぼろ半纏《ばんてん》に引《ひっ》くるめの一件で、ああ遣《や》って大概《たいがい》な華族も及ばん暮しをして、交際にかけては銭金《ぜにかね》を惜《おし》まんでありますが、情《なさけ》ない事には、遣方《やりかた》が遣方《やりかた》ゆえ、身分、名誉ある人は寄《よッ》つきませんで、悲哉《かなしいかな》その段は、如何《いかが》わしい連中ばかり。」
「お
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