廊下《ろうか》を縦に通るほどな心地《ここち》でありますからで。客人は、堂へ行《ゆ》かれて、柱《はしら》板敷《いたじき》へひらひらと大きくさす月の影、海の果《はて》には入日《いりひ》の雲が焼残《やけのこ》って、ちらちら真紅《しんく》に、黄昏《たそがれ》過ぎの渾沌《こんとん》とした、水も山も唯《ただ》一面の大池の中に、その軒端《のきば》洩《も》る夕日の影と、消え残る夕焼の雲の片《きれ》と、紅蓮《ぐれん》白蓮《びゃくれん》の咲乱《さきみだ》れたような眺望《ながめ》をなさったそうな。これで御法《みのり》の船に同じい、御堂《おどう》の縁《えん》を離れさえなさらなかったら、海に溺《おぼ》れるようなことも起らなんだでございましょう。
爰《ここ》に希代《きたい》な事は――
堂の裏山の方で、頻《しき》りに、その、笛太鼓《ふえたいこ》、囃子《はやし》が聞えたと申す事――
唯今《ただいま》、それ、聞えますな。あれ、あれとは、まるで方角は違います。」
と出家は法衣《ころも》でずいと立って、廂《ひさし》から指を出して、御堂《みどう》の山を左の方《かた》へぐいと指した。立ち方の唐突《だしぬけ》なのと、急なのと、目前《めさき》を塞《ふさ》いだ墨染《すみぞめ》に、一天《いってん》する墨《すみ》を流すかと、袖《そで》は障子を包んだのである。
二十
「堂の前を左に切れると、空へ抜いた隧道《トンネル》のように、両端《りょうはし》から突出《つきで》ました巌《いわ》の間、樹立《こだち》を潜《くぐ》って、裏山へかかるであります。
両方|谷《たに》、海の方《かた》は、山が切れて、真中《まんなか》の路《みち》を汽車が通る。一方は一谷《ひとたに》落ちて、それからそれへ、山また山、次第に峰が重なって、段々|雲《くも》霧《きり》が深くなります。処々《ところどころ》、山の尾が樹の根のように集《あつま》って、広々とした青田《あおた》を抱《かか》えた処《ところ》もあり、炭焼小屋を包んだ処もございます。
其処《そこ》で、この山伝いの路は、崕《がけ》の上を高い堤防《つつみ》を行《ゆ》く形、時々、島や白帆《しらほ》の見晴しへ出ますばかり、あとは生繁《おいしげ》って真暗《まっくら》で、今時は、さまでにもありませぬが、草が繁りますと、分けずには通られません。
谷には鶯《うぐいす》、峰には目白《めじろ》四
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