でございます。
 停車場の新築|開《びら》き。」
 如何《いか》にも一月《ひとつき》ばかり以前から取沙汰《とりさた》した今日は当日。規模を大きく、建直《たてなお》した落成式、停車場《ステイション》に舞台がかかる、東京から俳優《やくしゃ》が来る、村のものの茶番がある、餅《もち》を撒《ま》く、昨夜も夜通し騒いでいて、今朝《けさ》来がけの人通りも、よけて通るばかりであったに、はたと忘れていたらしい。
「まったくお話しに聞惚《ききと》れましたか、こちらが里《さと》離《はな》れて閑静な所為《せい》か、些《ちっ》とも気が附《つか》ないでおりました。実は余り騒々《そうぞう》しいので、そこを遁《に》げて参ったのです。しかし降りそうになって来ました。」
 出家の額《ひたい》は仰向《あおむ》けに廂《ひさし》を潜《くぐ》って、
「ねんばり一湿《ひとしめ》りでございましょう。地雨《じあめ》にはなりますまい。何《なあに》、また、雨具もござる。芝居を御見物の思召《おぼしめし》がなくば、まあ御緩《ごゆっく》りなすって。
 あの音もさ、面白可笑《おもしろおかし》く、こっちも見物に参る気でもござると、じっと落着いてはいられないほど、浮いたものでありますが、さてこう、かけかまいなしに、遠ざかっておりますと、世を一ツ隔てたように、寂しい、陰気な、妙な心地《ここち》がいたすではありませんか。」
「真箇《まったく》ですね。」
「昔、井戸を掘ると、地《じ》の下に犬《いぬ》鶏《にわとり》の鳴く音《ね》、人声、牛車《ぎゅうしゃ》の軋《きし》る音などが聞えたという話があります。それに似ておりますな。
 峠から見る、霧の下だの、暗《やみ》の浪打際《なみうちぎわ》、ぼうと灯《あかり》が映《うつ》る処《ところ》だの、かように山の腹を向うへ越した地《じ》の裏などで、聞きますのは、おかしく人間業《にんげんわざ》でないようだ。夜中に聞いて、狸囃子《たぬきばやし》と言うのも至極でございます。
 いや、それに、つきまして、お話の客人でありますが、」
 と、茶を一口急いで飲み、さしおいて、
「さて今申した通り、夜分にこの石段を上《のぼ》って行《ゆ》かれたのでありまして。
 しかしこれは情《じょう》に激して、発奮《はず》んだ仕事ではなかったのでございます。
 こうやって、この庵室《あんじつ》に馴れました身には、石段はつい、通《かよ》い
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