が落ちる。目を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》って、その水中の木材よ、いで、浮べ、鰭《ひれ》ふって木戸に迎えよ、と睨《にら》むばかりに瞻《みつ》めたのでござるそうな。些《ち》と尋常事《ただごと》でありませんな。
詩は唐詩選《とうしせん》にでもありましょうか。」
「どうですか。ええ、何んですって――夢に家門《かもん》に入って沙渚《しゃしょ》に上《のぼ》る。魂《たましい》が沙漠《さばく》をさまよって歩行《ある》くようね、天河落処長洲路《てんがおつるところちょうしゅうのみち》、あわれじゃありませんか。
それを聞くと、私《わたし》まで何んだか、その婦人が、幽閉されているように思います。
それからどうしましたか。」
「どうと申して、段々|頤《おとがい》がこけて、日に増し目が窪《くぼ》んで、顔の色がいよいよ悪い。
或時《あるとき》、大奮発じゃ、と言うて、停車場《ていしゃば》前の床屋へ、顔を剃《そ》りに行《ゆ》かれました。その時だったと申す事で。
頭を洗うし、久しぶりで、些《ちと》心持《こころもち》も爽《さわやか》になって、ふらりと出ると、田舎《いなか》には荒物屋《あらものや》が多いでございます、紙、煙草《たばこ》、蚊遣香《かやりこう》、勝手道具、何んでも屋と言った店で。床店《とこみせ》の筋向《すじむこ》うが、やはりその荒物店《あらものみせ》であります処《ところ》、戸外《おもて》へは水を打って、軒《のき》の提灯《ちょうちん》にはまだ火を点《とも》さぬ、溝石《みぞいし》から往来へ縁台《えんだい》を跨《また》がせて、差向《さしむか》いに将棊《しょうぎ》を行《や》っています。端《はし》の歩《ふ》が附木《つけぎ》、お定《さだま》りの奴で。
用なしの身体《からだ》ゆえ、客人が其処《そこ》へ寄って、路傍《みちばた》に立って、両方ともやたらに飛車《ひしゃ》角《かく》の取替《とりか》えこ、ころりころり差違《さしちが》えるごとに、ほい、ほい、と言う勇ましい懸声《かけごえ》で。おまけに一人の親仁《おやじ》なぞは、媽々衆《かかしゅう》が行水《ぎょうずい》の間、引渡《ひきわた》されたものと見えて、小児《こども》を一人|胡坐《あぐら》の上へ抱いて、雁首《がんくび》を俯向《うつむ》けに銜《くわ》え煙管《ぎせる》。
で銜《くわ》えたまんま、待てよ、どっこい、と言うたびに、煙管《
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