たもと》の端《はし》、何処《どこ》へちょっと障《さわ》っても、情《なさけ》の露は男の骨を溶解《とろ》かさずと言うことなし、と申す風情《ふぜい》。
されば、気高いと申しても、天人神女《てんにんしんにょ》の俤《おもかげ》ではのうて、姫路《ひめじ》のお天守《てんしゅ》に緋《ひ》の袴《はかま》で燈台の下に何やら書を繙《ひもど》く、それ露が滴《したた》るように婀娜《あで》なと言うて、水道の水で洗い髪ではござらぬ。人跡《じんせき》絶えた山中の温泉に、唯《ただ》一人雪の膚《はだえ》を泳がせて、丈《たけ》に余る黒髪を絞るとかの、それに肖《に》まして。
慕わせるより、懐《なつか》しがらせるより、一目見た男を魅《み》する、力《ちから》広大《こうだい》。少《すくな》からず、地獄、極楽、娑婆《しゃば》も身に附絡《つきまと》うていそうな婦人《おんな》、従《したご》うて、罪も報《むくい》も浅からぬげに見えるでございます。
ところへ、迷うた人の事なれば、浅黄《あさぎ》の帯に緋《ひ》の扱帯《しごき》が、牛頭《ごず》馬頭《めず》で逢魔時《おうまがとき》の浪打際《なみうちぎわ》へ引立《ひきた》ててでも行《ゆ》くように思われたのでありましょう――私《わたくし》どもの客人が――そういう心持《こころもち》で御覧なさればこそ、その後《ご》は玉脇《たまわき》の邸《やしき》の前を通《とおり》がかり。……
浜へ行《ゆ》く町から、横に折れて、背戸口《せどぐち》を流れる小川の方へ引廻《ひきまわ》した蘆垣《あしがき》の蔭《かげ》から、松林の幹と幹とのなかへ、襟《えり》から肩のあたり、くっきりとした耳許《みみもと》が際立《きわだ》って、帯も裾《すそ》も見えないのが、浮出《うきだ》したように真中へあらわれて、後前《あとさき》に、これも肩から上ばかり、爾時《そのとき》は男が三人、一《ひと》ならびに松の葉とすれすれに、しばらく桔梗《ききょう》刈萱《かるかや》が靡《なび》くように見えて、段々《だんだん》低くなって隠れたのを、何か、自分との事のために、離座敷《はなれざしき》か、座敷牢《ざしきろう》へでも、送られて行《ゆ》くように思われた、後前《あとさき》を引挟《ひっぱさ》んだ三人の漢《おとこ》の首の、兇悪なのが、確《たしか》にその意味を語っていたわ。もうこれきり、未来まで逢《あ》えなかろうかとも思われる、と無理なことを言うの
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