い、快《こころよ》からぬ、滅入《めい》った容子《ようす》に見えて、ものあわれに、命がけにでも其奴《そいつ》らの中から救って遣《や》りたい感じが起った。家庭の様子もほぼ知れたようで、気が揉《も》める、と言われたのでありますが、貴下《あなた》、これは無理じゃて。
地獄の絵に、天女が天降《あまくだ》った処《ところ》を描いてあって御覧なさい。餓鬼《がき》が救われるようで尊《とうと》かろ。
蛇が、つかわしめじゃと申すのを聞いて、弁財天《べんざいてん》を、ああ、お気の毒な、さぞお気味が悪かろうと思うものはありますまいに。迷いじゃね。」
散策子はここに少しく腕組みした。
「しかし何ですよ、女は、自分の惚《ほ》れた男が、別嬪《べっぴん》の女房を持ってると、嫉妬《やく》らしいようですがね。男は反対です、」
と聊《いささ》か論ずる口吻《くちぶり》。
「ははあ、」
「男はそうでない。惚れてる婦人《おんな》が、小野小町花《おののこまちのはな》、大江千里月《おおえのちさとのつき》という、対句《ついく》通りになると安心します。
唯今《ただいま》の、その浅黄《あさぎ》の兵児帯《へこおび》、緋縮緬《ひぢりめん》の扱帯《しごき》と来ると、些《ち》と考えねばならなくなる。耶蘇教《やそきょう》の信者の女房が、主《しゅ》キリストと抱かれて寝た夢を見たと言うのを聞いた時の心地《こころもち》と、回々教《フイフイきょう》の魔神《ましん》になぐさまれた夢を見たと言うのを聞いた時の心地《こころもち》とは、きっとそれは違いましょう。
どっち路《みち》、嬉《うれし》くない事は知れていますがね、前のは、先《ま》ず先ずと我慢が出来る、後《あと》のは、堪忍《かんにん》がなりますまい。
まあ、そんな事は措《お》いて、何んだってまた、そう言う不愉快な人間ばかりがその夫人を取巻いているんでしょう。」
「そこは、玉脇《たまわき》がそれ鍬《くわ》の柄《つか》を杖《つえ》に支《つ》いて、ぼろ半纏《ばんてん》に引《ひっ》くるめの一件で、ああ遣《や》って大概《たいがい》な華族も及ばん暮しをして、交際にかけては銭金《ぜにかね》を惜《おし》まんでありますが、情《なさけ》ない事には、遣方《やりかた》が遣方《やりかた》ゆえ、身分、名誉ある人は寄《よッ》つきませんで、悲哉《かなしいかな》その段は、如何《いかが》わしい連中ばかり。」
「お
前へ
次へ
全48ページ中30ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
泉 鏡花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング