すが、あの歌に分れて来たので、何んだかなごり惜《おし》い心持《こころもち》もします。」
「けれども、石段だけも、婀娜《あだ》な御本尊《ごほんぞん》へは路《みち》が近うなってございますから、はははは。
実《じつ》の処《ところ》仏の前では、何か私《わたくし》が自分に懺悔《ざんげ》でもしまするようで心苦しい。此処《ここ》でありますと大きに寛《くつろ》ぐでございます。
師のかげを七|尺《しゃく》去るともうなまけの通りで、困ったものでありますわ。
そこで客人でございます。――
日頃のお話ぶり、行為《おこない》、御容子《ごようす》な、」
「どういう人でした。」
「それは申しますまい。私も、盲目《めくら》の垣覗《かきのぞ》きよりもそッと近い、机覗《つくえのぞ》きで、読んでおいでなさった、書物《しょもつ》などの、お話も伺《うかが》って、何をなさる方じゃと言う事も存じておりますが、経文《きょうもん》に書いてあることさえ、愚昧《ぐまい》に饒舌《しゃべ》ると間違います。
故人をあやまり伝えてもなりませず、何か評《ひょう》をやるようにも当りますから、唯々《ただただ》、かのな、婦人との模様だけ、お物語りしましょうで。
一日《あるひ》晩方《ばんがた》、極暑《ごくしょ》のみぎりでありました。浜の散歩から返ってござって、(和尚《おしょう》さん、些《ちっ》と海へ行って御覧なさいませんか。綺麗《きれい》な人がいますよ。)
(ははあ、どんな、貴下《あなた》、)
(あの松原の砂路《すなじ》から、小松橋《こまつばし》を渡ると、急にむこうが遠目金《とおめがね》を嵌《は》めたように円《まる》い海になって富士《ふじ》の山が見えますね、)
これは御存じでございましょう。」
「知っていますとも。毎日のように遊びに出ますもの、」
「あの橋の取附《とッつ》きに、松の樹で取廻《とりまわ》して――松原はずッと河を越して広い洲《す》の林になっておりますな――そして庭を広く取って、大玄関《おおげんかん》へ石を敷詰《しきつ》めた、素ばらしい門のある邸《やしき》がございましょう。あれが、それ、玉脇《たまわき》の住居《すまい》で。
実はあの方《ほう》を、東京の方《かた》がなさる別荘を真似《まね》て造ったでありますが、主人が交際《つきあい》ずきで頻《しきり》と客をしまする処《ところ》、いずれ海が、何よりの呼物《よびもの》
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