《こづくえ》の前に坐って、火入《ひいれ》ばかり、煙草《たばこ》なしに、灰のくすぼったのを押出《おしだ》して、自分も一膝《ひとひざ》、こなたへ進め、
「些《ちっ》とお休み下さい。」
また、かさかさと袂《たもと》を探って、
「やあ、マッチは此処《ここ》にもござった、ははは、」
と、も一《ひと》ツ机の下から。
「それではお邪魔を、ちょっと、拝借。」
とこなたは敷居越《しきいごし》に腰をかけて、此処《ここ》からも空に連なる、海の色より、より濃《こまやか》な霞《かすみ》を吸った。
「真個《ほんと》に、結構な御堂《おどう》ですな、佳《い》い景色じゃありませんか。」
「や、もう大破《たいは》でござって。おもりをいたす仏様に、こう申し上げては済まんでありますがな。ははは、私力《わたくしちから》にもおいそれとは参りませんので、行届《ゆきとど》かんがちでございますよ。」
六
「随分《ずいぶん》御参詣はありますか。」
先ず差当《さしあた》り言うことはこれであった。
出家は頷《うなず》くようにして、机の前に座を斜めに整然《きちん》と坐り、
「さようでございます。御繁昌《ごはんじょう》と申したいでありますが、当節は余りござりません。以前は、荘厳美麗《そうごんびれい》結構なものでありましたそうで。
貴下《あなた》、今お通りになりましてございましょう。此処《ここ》からも見えます。この山の裾《すそ》へかけまして、ずッとあの菜種畠《なたねばたけ》の辺《あたり》、七堂伽藍《しちどうがらん》建連《たてつら》なっておりましたそうで。書物《かきもの》にも見えますが、三浦郡《みうらごおり》の久能谷《くのや》では、この岩殿寺《いわとでら》が、土地の草分《くさわけ》と申しまする。
坂東《ばんどう》第二番の巡拝所《じゅんぱいじょ》、名高い霊場《れいじょう》でございますが、唯今《ただいま》ではとんとその旧跡《きゅうせき》とでも申すようになりました。
妙《みょう》なもので、かえって遠国《えんごく》の衆《しゅう》の、参詣が多うございます。近くは上総《かずさ》下総《しもうさ》、遠い処は九州|西国《さいこく》あたりから、聞伝《ききつた》えて巡礼なさるのがあります処《ところ》、この方《かた》たちが、当地へござって、この近辺で聞かれますると、つい知らぬものが多くて、大きに迷うなぞと言う、お話しを
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