《かんぜおん》は咎《とが》め給《たま》わぬ。
さればこれなる彫金《ほりきん》、魚政《うおまさ》はじめ、此処《ここ》に霊魂の通《かよ》う証拠には、いずれも巡拝《じゅんぱい》の札《ふだ》を見ただけで、どれもこれも、女名前《おんななまえ》のも、ほぼその容貌と、風采《ふうさい》と、従ってその挙動までが、朦朧《もうろう》として影の如く目に浮ぶではないか。
かの新聞で披露《ひろう》する、諸種の義捐金《ぎえんきん》や、建札《たてふだ》の表《ひょう》に掲示する寄附金の署名が写実である時に、これは理想であるといっても可《よ》かろう。
微笑《ほほえ》みながら、一枚ずつ。
扉の方へうしろ向けに、大《おおき》な賽銭箱《さいせんばこ》のこなた、薬研《やげん》のような破目《われめ》の入った丸柱《まるばしら》を視《なが》めた時、一枚|懐紙《かいし》の切端《きれはし》に、すらすらとした女文字《おんなもじ》。
[#天から4字下げ]うたゝ寐《ね》に恋しき人を見てしより
[#天から9字下げ]夢てふものは頼みそめてき
[#天から16字下げ]――玉脇《たまわき》みを――
と優《やさ》しく美《うつくし》く書いたのがあった。
「これは御参詣で。もし、もし、」
はッと心付くと、麻《あさ》の法衣《ころも》の袖《そで》をかさねて、出家《しゅっけ》が一人、裾短《すそみじか》に藁草履《わらぞうり》を穿《は》きしめて間近《まぢか》に来ていた。
振向《ふりむ》いたのを、莞爾《にこ》やかに笑《え》み迎えて、
「些《ちっ》とこちらへ。」
賽銭箱《さいせんばこ》の傍《わき》を通って、格子戸に及腰《およびごし》。
「南無《なむ》」とあとは口の裏《うち》で念じながら、左右へかたかたと静《しずか》に開けた。
出家は、真直《まっす》ぐに御廚子《みずし》の前、かさかさと袈裟《けさ》をずらして、袂《たもと》からマッチを出すと、伸上《のびあが》って御蝋《おろう》を点じ、額《ひたい》に掌《たなそこ》を合わせたが、引返《ひきかえ》してもう一枚、彳《たたず》んだ人の前の戸を開けた。
虫ばんだが一段高く、かつ幅の広い、部厚《ぶあつ》な敷居《しきい》の内に、縦に四畳《よじょう》ばかり敷かれる。壁の透間《すきま》を樹蔭《こかげ》はさすが、縁《へり》なしの畳《たたみ》は青々《あおあお》と新しかった。
出家は、上に何《なん》にもない、小机
前へ
次へ
全48ページ中10ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
泉 鏡花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング