ものは、」
 とちょいと顔を上げて見ると、左の崕《がけ》から椎《しい》の樹が横に出ている――遠くから視《なが》めると、これが石段の根を仕切る緑なので、――庵室《あんじつ》はもう右手《めて》の背後《うしろ》になった。
 見たばかりで、すぐにまた、
「夢と言えば、これ、自分も何んだか夢を見ているようだ。やがて目が覚《さ》めて、ああ、転寐《うたたね》だったと思えば夢だが、このまま、覚めなければ夢ではなかろう。何時《いつ》か聞いた事がある、狂人《きちがい》と真人間《まにんげん》は、唯《ただ》時間の長短だけのもので、風が立つと時々波が荒れるように、誰でもちょいちょいは狂気《きちがい》だけれど、直ぐ、凪《な》ぎになって、のたりのたりかなで済む。もしそれが静まらないと、浮世の波に乗っかってる我々、ふらふらと脳が揺れる、木《き》静まらんと欲すれども風やまずと来た日にゃ、船に酔《え》う、その浮世の波に浮んだ船に酔うのが、たちどころに狂人《きちがい》なんだと。
 危険々々《けんのんけんのん》。
 ト来た日にゃ夢もまた同一《おんなじ》だろう。目が覚めるから、夢だけれど、いつまでも覚めなけりゃ、夢じゃあるまい
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