と》の松は、我がなき母の塚であった。
向った丘に、もみじの中に、昼の月、虚空に澄んで、月天《がってん》の御堂《みどう》があった。――幼い私は、人界の茸《きのこ》を忘れて、草がくれに、偏《ひとえ》に世にも美しい人の姿を仰いでいた。
弁当に集《あつま》った。吸筒《すいづつ》の酒も開かれた。「関ちゃん――関ちゃん――」私の名を、――誰も呼ぶもののないのに、その人が優しく呼んだ。刺すよと知りつつも、引《ひッ》つかんで声を堪《こら》えた、茨《いばら》の枝に胸のうずくばかりなのをなお忍んだ――これをほかにしては、もうきこえまい……母の呼ぶと思う、なつかしい声を、いま一度、もう一度、くりかえして聞きたかったからであった。「打棄《うっちゃ》っておけ、もう、食いに出て来る。」私は傍《そば》の男たちの、しか言うのさえ聞える近まにかくれたのである。草を噛《か》んだ。草には露、目には涙、縋《すが》る土にもしとしとと、もみじを映す糸のような紅《くれない》の清水が流れた。「関ちゃん――関ちゃんや――」澄み透《とお》った空もやや翳《かげ》る。……もの案じに声も曇るよ、と思うと、その人は、たけだちよく、高尚に、す
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