でしょう。」
お民は聞いて、火鉢のふちに、算盤《そろばん》を弾《はじ》くように、指を反らして、
「謹さん、もっとですよ。八月十日の新聞までに、八人だったわ。」
と仰いで目を細うして言った。幼い時から、記憶の鋭い婦人である。
「じゃ、九人になる処だった。貴女《あなた》の内へ遊びに行《ゆ》くと、いつも帰りが遅くなって、日が暮れちゃ、あの濠端《ほりばた》を通ったんですがね、石垣が蒼《あお》く光って、真黒《まっくろ》な水の上から、むらむらと白い煙が、こっちに這《は》いかかって来るように見えるじゃありませんか。
引込まれては大変だと、早足に歩行《ある》き出すと、何だかうしろから追い駈《か》けるようだから、一心に遁《に》げ出してさ、坂の上で振返ると、凄《すご》いような月で。
ああ、春の末でした。
あとについて来たものは、自分の影法師ばかりなんです。
自分の影を、死神と間違えるんだもの、御覧なさい、生きている瀬はなかったんですよ。」
「心細いじゃありませんか、ねえ。」
と寂《さみ》しそうに打傾く、面《おもて》に映って、頸《うなじ》をかけ、黒繻子《くろじゅす》の襟に障子の影、薄ら蒼く見え
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