き》の穿物《はきもの》は、むさくるしいほど泥塗《どろまみ》れであるが、惟《おも》ふに玄關番《げんくわんばん》の學僕《がくぼく》が、悲憤《ひふん》慷慨《かうがい》の士《し》で、女《をんな》の足《あし》につけるものを打棄《うつちや》つて置《お》くのであらう。
 其《そ》の穿物《はきもの》が重《おも》いために、細君《さいくん》の足《あし》の運《はこ》び敏活《びんくわつ》ならず。が其《それ》の所爲《せゐ》で散策《さんさく》に恁《かゝ》る長時間《ちやうじかん》を費《つひや》したのではない。
 最《もつと》も神樂坂《かぐらざか》を歩行《ある》くのは、細君《さいくん》の身《み》に取《と》つて、些《ちつ》とも樂《たのし》みなことはなかつた。既《すで》に日《ひ》の内《うち》におさんを連《つ》れて、其《そ》の折《をり》は、二枚袷《にまいあはせ》に長襦袢《ながじゆばん》、小紋《こもん》縮緬《ちりめん》三《み》ツ紋《もん》の羽織《はおり》で、白足袋《しろたび》。何《なん》のためか深張傘《ふかばりがさ》をさして、一度《いちど》、やすもの賣《うり》の肴屋《さかなや》へ、お總菜《そうざい》の鰡《ぼら》を買《か》ひに出《で》たから。

      茗荷谷《みやうがだに》

「おう、苺《いちご》だ苺《いちご》だ、飛切《とびきり》の苺《いちご》だい、負《まか》つた負《まか》つた。」
 小石川《こいしかは》茗荷谷《みやうがだに》から臺町《だいまち》へ上《あが》らうとする爪先《つまさき》上《あが》り。兩側《りやうがは》に大藪《おほやぶ》があるから、俗《ぞく》に暗《くら》がり坂《ざか》と稱《とな》へる位《ぐらゐ》、竹《たけ》の葉《は》の空《そら》を鎖《とざ》して眞暗《まつくら》な中《なか》から、烏瓜《からすうり》の花《はな》が一面《いちめん》に、白《しろ》い星《ほし》のやうな瓣《はなびら》を吐《は》いて、東雲《しのゝめ》の色《いろ》が颯《さつ》と射《さ》す。坂《さか》の上《うへ》の方《はう》から、其《そ》の苺《いちご》だ、苺《いちご》だ、と威勢《ゐせい》よく呼《よば》はりながら、跣足《はだし》ですた/\と下《お》りて來《く》る、一名《いちめい》の童《わつぱ》がある。
 嬉《うれ》しくツて/\、雀躍《こをどり》をするやうな足《あし》どりで、「やつちあ場《ば》ア負《まか》つたい。おう、負《まか》つた、負《まか》
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