こ》のさきの下駄《げた》屋《や》の方《はう》が可《えゝ》か、お前《まへ》好《すき》な處《ところ》で買《か》へ、あゝん。)と念《ねん》を入《い》れて見《み》たが、矢張《やつぱり》默《だま》つて、爾時《そのとき》は、おなじ横顏《よこがほ》を一寸《ちよつと》背《そむ》けて、あらぬ處《ところ》を見《み》た。
丁度《ちやうど》左側《ひだりがは》を、二十《はたち》ばかりの色《いろ》の白《しろ》い男《をとこ》が通《とほ》つた。旦那《だんな》は稍《やゝ》濁《にご》つた聲《こゑ》の調子高《てうしだか》に、
(あゝん、何《ど》うぢや。)
(嫌《いや》ですことねえ、)と何《なに》とも着《つ》かぬことを謂《い》つたのであるが、其間《そのかん》の消息《せうそく》自《おのづか》ら神契《しんけい》默會《もくくわい》。
(にやけた奴《やつ》ぢや、國賊《こくぞく》ちゆう!)と快《こゝろよ》げに、小指《こゆび》の尖《さき》ほどな黒子《ほくろ》のある平《ひらた》な小鼻《こばな》を蠢《うごめ》かしたのである。謂《い》ふまでもないが、此《こ》のほくろは極《きは》めて僥倖《げうかう》に半《なかば》は髯《ひげ》にかくれて居《ゐ》るので。さて銀側《ぎんがは》の懷中《くわいちう》時計《どけい》は、散策《さんさく》の際《さい》も身《み》を放《はな》さず、件《くだん》の帶《おび》に卷着《まきつ》けてあるのだから、時《とき》は自分《じぶん》にも明《あきら》かであらう、前《さき》に郵便局《いうびんきよく》の前《まへ》を通《とほ》つたのが六時《ろくじ》三十分《さんじつぷん》で、歸《かへ》り途《みち》に通懸《とほりかゝ》つたのが、十一時《じふいちじ》少々《せう/\》過《す》ぎて居《ゐ》た。
夏《なつ》の初《はじ》めではあるけれども、夜《よる》の此《こ》の時分《じぶん》に成《な》ると薄《うす》ら寒《さむ》いのに、細君《さいくん》の出《で》は縞《しま》のフランネルに絲織《いとおり》の羽織《はおり》、素足《すあし》に蹈臺《ふみだい》を俯着《うツつ》けて居《ゐ》る、語《ご》を換《か》へて謂《い》へば、高《たか》い駒下駄《こまげた》を穿《は》いたので、悉《くは》しく言《い》へば泥《どろ》ぽツくり。旦那《だんな》が役所《やくしよ》へ通《かよ》ふ靴《くつ》の尖《さき》は輝《かゞや》いて居《ゐ》るけれども、細君《さいくん》の他所行《よそい
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