つた、わつしよい/\。」
 やがて坂《さか》の下口《おりくち》に來《き》て、もう一足《ひとあし》で、藪《やぶ》の暗《くら》がりから茗荷谷《みやうがだに》へ出《で》ようとする時《とき》、
「おくんな。」と言《い》つて、藪《やぶ》の下《した》をちよこ/\と出《で》た、九《こゝの》ツばかりの男《をとこ》の兒《こ》。脊丈《せたけ》より横幅《よこはゞ》の方《はう》が廣《ひろ》いほどな、提革鞄《さげかばん》の古《ふる》いのを、幾處《いくところ》も結目《むすびめ》を拵《こしら》へて肩《かた》から斜《なゝ》めに脊負《せお》うてゐる。
 これは界隈《かいわい》の貧民《ひんみん》の兒《こ》で、つい此《こ》の茗荷谷《みやうがだに》の上《うへ》に在《あ》る、補育院《ほいくゐん》と稱《とな》へて月謝《げつしや》を取《と》らず、時《とき》とすると、讀本《とくほん》、墨《すみ》の類《るゐ》が施《ほどこし》に出《で》て、其上《そのうへ》、通學《つうがく》する兒《こ》の、其《そ》の日《ひ》暮《ぐら》しの親達《おやたち》、父親《ちゝおや》なり、母親《はゝおや》なり、日《ひ》を久《ひさ》しく煩《わづら》つたり、雨《あめ》が降續《ふりつゞ》いたり、窮境《きうきやう》目《め》も當《あ》てられない憂目《うきめ》に逢《あ》ふなんどの場合《ばあひ》には、教師《けうし》の情《なさけ》で手當《てあて》の出《で》ることさへある、院《ゐん》といふが私立《しりつ》の幼稚園《えうちゑん》をかねた小學校《せうがくかう》へ通學《つうがく》するので。
 今《いま》大塚《おほつか》の樹立《こだち》の方《はう》から颯《さつ》と光線《くわうせん》を射越《いこ》して、露《つゆ》が煌々《きら/\》する路傍《ろばう》の草《くさ》へ、小《ちひ》さな片足《かたあし》を入《い》れて、上《うへ》から下《お》りて來《く》る者《もの》の道《みち》を開《ひら》いて待構《まちかま》へると、前《まへ》とは違《ちが》ひ、歩《ほ》を緩《ゆる》う、のさ/\と顯《あら》はれたは、藪龜《やぶがめ》にても蟇《ひき》にても……蝶々《てふ/\》蜻蛉《とんぼ》の餓鬼大將《がきだいしやう》。
 駄々《だゞ》を捏《こ》ぬて、泣癖《なきくせ》が著《つ》いたらしい。への字《じ》形《なり》の曲形口《いがみぐち》、兩《りやう》の頬邊《ほゝべた》へ高慢《かうまん》な筋《すぢ》を入《い》れて、
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