《ふうふ》に成《な》つて遣《や》るツて書《か》いてあるぢやあないか。
親《おや》の爲《ため》だつて、何《なん》だつて、一旦《いつたん》他《ほか》の人《ひと》に身《み》をお任《まか》せだもの、道理《もつとも》だよ。お前《まへ》、お前《まへ》、それで氣《き》を落《おと》したんだけれど、命《いのち》をかけて願《ねが》つたものを、お前《まへ》、其《それ》までに思《おも》ふものを、柳《りう》ちやん、何《なん》だつてお見捨《みす》てなさるものかね、解《わか》つたかい、あれ、あれをお聞《き》きよ。もう可《い》いよ。大丈夫《だいぢやうぶ》だよ。願《ねがひ》は叶《かな》つたよ。」
「大變《たいへん》だ、大變《たいへん》だ、材木《ざいもく》が化《ば》けたんだぜ、小屋《こや》の材木《ざいもく》に葉《は》が茂《しげ》つた、大變《たいへん》だ、枝《えだ》が出來《でき》た。」
と普請小屋《ふしんごや》、材木納屋《ざいもくなや》の前《まへ》で叫《さけ》び足《た》らず、與吉《よきち》は狂氣《きやうき》の如《ごと》く大聲《おほごゑ》で、此《この》家《や》の前《まへ》をも呼《よば》はつて歩行《ある》いたのである。
「
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