といふ。
濡《ぬ》れた手《て》を間近《まぢか》な柳《やなぎ》の幹《みき》にかけて半身《はんしん》を出《だ》した、お品《しな》は與吉《よきち》を見《み》て微笑《ほゝゑ》むだ。
土間《どま》は一面《いちめん》の日《ひ》あたりで、盤臺《はんだい》、桶《をけ》、布巾《ふきん》など、ありつたけのもの皆《みな》濡《ぬ》れたのに、薄《うす》く陽炎《かげろふ》のやうなのが立籠《たちこ》めて、豆腐《とうふ》がどんよりとして沈《しづ》んだ、新木《あらき》の大桶《おほをけ》の水《みづ》の色《いろ》は、薄《うす》ら蒼《あを》く、柳《やなぎ》の影《かげ》が映《うつ》つて居《ゐ》る。
「晩方《ばんがた》又《また》來《く》るんだ。」
お品《しな》は莞爾《につこり》しながら、
「難有《ありがた》う存《ぞん》じます、」故《わざ》と慇懃《いんぎん》にいつた。
つか/\と行懸《ゆきか》けた與吉《よきち》は、これを聞《き》くと、あまり自分《じぶん》の素氣《そつけ》なかつたのに氣《き》がついたか、小戻《こもど》りして眞顏《まがほ》で、眼《め》を一《ひと》ツ瞬《しばだた》いて、
「えゝ、毎度《まいど》難有《ありがた》う存《ぞん》じます。」と、罪《つみ》のない口《くち》の利《き》きやうである。
「ほゝゝ、何《なに》をいつてるのさ。」
「何《なに》がよ。」
「だつてお前樣《まへさん》はお客樣《きやくさま》ぢやあないかね、お客樣《きやくさま》なら私《わたし》ン處《ところ》の旦那《だんな》だね、ですから、あの、毎度《まいど》難有《ありがた》う存《ぞん》じます。」と柳《やなぎ》に手《て》を縋《すが》つて半身《はんしん》を伸出《のびで》たまゝ、胸《むね》と顏《かほ》を斜《なゝ》めにして、與吉《よきち》の顏《かほ》を差覗《さしのぞ》く。
與吉《よきち》は極《きまり》の惡《わる》さうな趣《おもむき》で、
「お客樣《きやくさま》だつて、あの、私《わたし》は木挽《こびき》の小僧《こぞう》だもの。」
と手眞似《てまね》で見《み》せた、與吉《よきち》は兩手《りやうて》を突出《つきだ》してぐつと引《ひ》いた。
「かうやつて、かう挽《ひ》いてるんだぜ、木挽《こびき》の小僧《こぞう》だぜ。お前樣《まへさん》はおかみさんだらう、柳屋《やなぎや》のおかみさんぢやねえか、それ見《み》ねえ、此方《こつち》でお辭儀《じぎ》をしなけりやな
前へ
次へ
全23ページ中10ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
泉 鏡花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング