三尺角
泉鏡花

−−
【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)山《やま》には

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)丈《たけ》四|間半《けんはん》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「火+發」、692−5]《ぱつ》と

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)えい/\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
−−

        一

「…………」
 山《やま》には木樵唄《きこりうた》、水《みづ》には船唄《ふなうた》、驛路《うまやぢ》には馬子《まご》の唄《うた》、渠等《かれら》はこれを以《もつ》て心《こゝろ》を慰《なぐさ》め、勞《らう》を休《やす》め、我《おの》が身《み》を忘《わす》れて屈託《くつたく》なく其《その》業《げふ》に服《ふく》するので、恰《あたか》も時計《とけい》が動《うご》く毎《ごと》にセコンドが鳴《な》るやうなものであらう。また其《それ》がために勢《いきほひ》を増《ま》し、力《ちから》を得《う》ることは、戰《たゝかひ》に鯨波《とき》を擧《あ》げるに齊《ひと》しい、曳々《えい/\》!と一齊《いつせい》に聲《こゑ》を合《あ》はせるトタンに、故郷《ふるさと》も、妻子《つまこ》も、死《し》も、時間《じかん》も、慾《よく》も、未練《みれん》も忘《わす》れるのである。
 同《おな》じ道理《だうり》で、坂《さか》は照《て》る/\鈴鹿《すゞか》は曇《くも》る=といひ、袷《あはせ》遣《や》りたや足袋《たび》添《そ》へて=と唱《とな》へる場合《ばあひ》には、いづれも疲《つかれ》を休《やす》めるのである、無益《むえき》なものおもひを消《け》すのである、寧《むし》ろ苦勞《くらう》を紛《まぎ》らさうとするのである、憂《うさ》を散《さん》じよう、戀《こひ》を忘《わす》れよう、泣音《なくね》を忍《しの》ばうとするのである。
 それだから追分《おひわけ》が何時《いつ》でもあはれに感《かん》じらるゝ。つまる處《ところ》、卑怯《ひけふ》な、臆病《おくびやう》な老人《らうじん》が念佛《ねんぶつ》を唱《とな》へるのと大差《たいさ》はないので、語《ご》を換《か》へて言《い》へば、不殘《のこらず》、節《ふし》をつけた不平
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