《ふへい》の獨言《つぶやき》である。
 船頭《せんどう》、馬方《うまかた》、木樵《きこり》、機業場《はたおりば》の女工《ぢよこう》など、あるが中《なか》に、此《こ》の木挽《こびき》は唄《うた》を謠《うた》はなかつた。其《そ》の木挽《こびき》の與吉《よきち》は、朝《あさ》から晩《ばん》まで、同《おな》じことをして木《き》を挽《ひ》いて居《ゐ》る、默《だま》つて大鋸《おほのこぎり》を以《もつ》て巨材《きよざい》の許《もと》に跪《ひざまづ》いて、そして仰《あふ》いで禮拜《らいはい》する如《ごと》く、上《うへ》から挽《ひ》きおろし、挽《ひ》きおろす。此《この》度《たび》のは、一昨日《をとゝひ》の朝《あさ》から懸《かゝ》つた仕事《しごと》で、ハヤ其《その》半《なかば》を挽《ひ》いた。丈《たけ》四|間半《けんはん》、小口《こぐち》三|尺《じやく》まはり四角《しかく》な樟《くすのき》を眞二《まつぷた》つに割《わ》らうとするので、與吉《よきち》は十七の小腕《こうで》だけれども、此《この》業《わざ》には長《た》けて居《ゐ》た。
 目鼻立《めはなだち》の愛《あい》くるしい、罪《つみ》の無《な》い丸顏《まるがほ》、五分刈《ごぶがり》に向顱卷《むかうはちまき》、三尺帶《さんじやくおび》を前《まへ》で結《むす》んで、南《なん》の字《じ》を大《おほき》く染拔《そめぬ》いた半被《はつぴ》を着《き》て居《ゐ》る、これは此處《こゝ》の大家《たいけ》の仕着《しきせ》で、挽《ひ》いてる樟《くすのき》も其《そ》の持分《もちぶん》。
 未《ま》だ暑《あつ》いから股引《もゝひき》は穿《は》かず、跣足《はだし》で木屑《きくづ》の中《なか》についた膝《ひざ》、股《もゝ》、胸《むね》のあたりは色《いろ》が白《しろ》い。大柄《おほがら》だけれども肥《ふと》つては居《を》らぬ、ならば袴《はかま》でも穿《は》かして見《み》たい。與吉《よきち》が身體《からだ》を入《い》れようといふ家《いへ》は、直《すぐ》間近《まぢか》で、一|町《ちやう》ばかり行《ゆ》くと、袂《たもと》に一|本《ぽん》暴風雨《あらし》で根返《ねがへ》して横樣《よこざま》になつたまゝ、半《なか》ば枯《か》れて、半《なか》ば青々《あを/\》とした、あはれな銀杏《いてふ》の矮樹《わいじゆ》がある、橋《はし》が一個《ひとつ》。其《そ》の澁色《しぶいろ》の橋《はし》
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